( 1 )宇田川榕庵「植学啓原」(一八三三)では「フィジカル(費西加)」を「窮理学」と訳しているが、これは生理学の意であった。近世後期から明治にかけては「理学」全体を「窮理学」と呼ぶことが多かった。
( 2 )渡辺崋山は「外国事情書」(一八三九)に「物理の学〈ウェースベゲールデ〉」を使用しているが、オランダ語 wijsbegeerte は今日の「哲学」に相当する。西周は physics を「格物学」と訳す一方、「天文学」「化学」などとも共通する理学的な道理を「物理」と称した。
( 3 )その後、「物理学」は natural philosophy (現在の自然科学に当たる)の訳語に当てられ、「窮理学」の語は次第に使われなくなった。
物理学の語源であるphysic(φυσιξ)は、もともとギリシア語で自然を意味していた。したがってアリストテレスの『フィジカ』Physicaは『自然学』と訳されている。彼はそのなかで「運動」を論じるのに多くのページを割いている。アリストテレスが「運動」といっているのは、発生消滅、量の増大減少、質的変化、場所的移動を含んでいる。われわれが現在狭義に運動といっているのはこの最後のものである。しかし、アリストテレスの運動のなかには化学変化や生命現象をも含みうる。このように、アリストテレスの『フィジカ』は物理学であるというよりは自然学の書である。しかし彼は、動植物などについての具体的記述は他の著作に譲り、このなかでは広義の運動を一般的、基本的に論じている。この方法は現在の物理学に引き継がれているものであり、現代語のphysicsが物理学にあてられるのは理由のあることであろう。
ところで18~19世紀まではnatural philosophyが物理学を意味するものとして使われていた。しかし18世紀後半になるとphysiqueが化学と並ぶ物理学を意味していたことは、たとえばフランスのラボアジエの論文が『Opuscules physiques et chimiques』に載ったことからもみることができる。19世紀に入ると、力学や光学のほかに熱学や電磁気学が完成し、それらを総合したものとして物理学の概念がそのことばとともに確立していったとみられる(念のため、physiologyは生理学、physicianは医師であって物理学者ではないが、フランス語ではphysicienは物理学者であって医師ではない。これらのことは、もともとphysicが自然、身体を意味することばであることによる)。
19世紀になると、フランスでは『Annales de chimie et de physique』や『Journal de physique』が、またドイツでは『Annalen der Physik und Chemie』が現れて、物理学史上重要な論文が数多く発表され、物理学は化学と並んで自然科学の重要な位置を、physique, Physikなどということばとともに確立したとみられる。
[宮原将平・高木修二]
物理学の対象は自然現象であるが、これでは広すぎて他の自然諸科学との区別がつかない。しかし、これをどの範囲と限定することも困難である。なぜなら、物理学も自然科学の他の諸分科と同じく、これまでの進歩を踏まえつつ、その考え方も対象も絶えず広げながら変化しているからである。かつて「物理学は物体の運動について研究し、化学は物質の変化について研究する」、というようなことがいわれた。このようにいうときの物体とは一定の形や大きさをもった限定的なものであるのに対し、化学の対象としての「物質」は、均一で特定の形や大きさをもたないが一定の性質を担うものとして、たとえば空気とか水とか銅とかいうものを意味している。しかし、物質ということばはもっと広い意味をもっている。自然的物質としてわれわれは、空気や水や銅のようなものばかりではなく、星や太陽のような天体すなわち宇宙における「物体」をも含めて考えている。また、近代科学の明らかにしたところによれば、化学者のいう「物質」も分子・原子と名づけられている微小な「物体」の集団としてあるのだとされている。
現代の立場でいえば、物理学の対象は「自然現象を引き起こすもととなっている物質とその運動」、というべきであろう。さらにいえば、物理学の特徴は、それらの自然現象の奥に潜む普遍的な法則をできるだけ統一的に求めようとするところにある。イタリアのガリレイに始まりイギリスのニュートンにより事実上完成した古典力学では、対象は地球上の「物体」だけでなく、月や惑星などの天体をも含んでいる。ただ、このときの「物体」は、その内部の構造などは無視して、「質量」というような属性を抽出している。また、「運動」というときには「位置」とその変化とに着目している。しかし、その後の物理学の発展では、星をも含めて、それをつくっているもの、すなわち「物質」を対象とするようになっている。また、「運動」という場合、狭義の物体の運動だけを意味するのではなく、光の伝播(でんぱ)とか液体から気体への変化とかいうように、着目する属性の変化を対象として含んでいる。さらにまた物理学は、物質の構造と運動だけでなく、その運動を規定する枠組みである「時間・空間」の構造をもその研究対象としている(一般相対性理論)。
しかし、このような規定ではまだ物理学と他の自然諸科学との区別は明らかではない。たとえば化学に関して、現代の物理学者の一部には、いまや化学は物理学に包含されてしまったなどという見解がある。確かに、現代では物理学と化学との研究対象領域は互いに浸透しあっている。しかし、このようなことはすべての個別科学の境界についてもいえることであり、これをもって物理学と化学の区別がなくなったと考えるのは正しくない。
[宮原将平・高木修二]
物理学の対象の特徴を化学のそれと対比的にあげるならば、それは次のようなものであるといえる。まず、物理学は自然のあらゆる対象物の基本的構造と一般的運動を認識しようとする。もちろん物理学においても、特殊的対象に固有な運動法則や構造をも研究するが、それはより普遍的な法則を探りあるいは検証するためであったり、より基本的と考えられる構造の発現をみるためなど、つねに一般的なものとの関連で探究される。このようにして物理学の対象は、大は宇宙や銀河系の問題から、小は原子や素粒子の問題に至るまでが含まれる。化学はこれに反して、原子が構成する分子(それはまた化学的物質種の基本単位とも考えられるが)および分子の結合体についての構造と変化を研究対象としている。化学のこの研究対象は一見、物理学の対象の一部にすぎないようにみえるが、実はそうではない。数十ないし100余種の原子の組合せでつくられる化合物分子はその種類が膨大であるということだけをここでいっているのではない。それらのなかには、化学の固有の概念、たとえば原子価、結合、基、酸化・還元などが存在する。物質的対応をもつこれらの概念を、物理学的に、すなわち基本的な物質の一般的な運動法則によって基礎づけることは可能であろう。しかし、そのことによって化学に固有なこれら質的概念が物理学的運動法則に解消されてしまうものではない。それは、たとえば、生物を形成している物質が化学的に分析され、生命現象のあるものが物理学や化学によって基礎づけられたといっても、生命が無機的な物質に帰着されたのではない、というのと同様である。
自然的物質のなかで、「生物」は特別なものであり、物理学の研究対象からはいちおう除外される。もちろん、生物学と物理学の研究領域も浸透しあってきている。しかし、生体物質を物理学の研究対象として取り入れつつあるとはいっても、物理学と生物学との距離は、物理学と化学とのそれよりはるかに大きい。生物の個体の発生・成長、あるいは増殖や進化は生物固有の概念であり、それらを基本的な物質とその一般的な運動法則という物理学の概念から理解するのは、いまだはるかに遠いところにあるというべきであろう。
[宮原将平・高木修二]
物理学は、他の自然科学の諸分科と同じように、実験的ならびに理論的な方法によって研究される。「実験」を広義に解すれば、観察、観測などもそのなかに含まれる。しかし、物理学においては、狭義の「実験」すなわち環境条件を整え、諸パラメーターの値を制御し、一つの物理量を精密に測定し、あるいは2量間の数量的な関数関係をみいだすという、いわゆる精密実験を重視する。このことは、物理学が運動の量的側面を重視して研究が行われることと深くかかわっている。しかし同時に、実験のもつ質的発見の意義も大きい。X線の発見、放射能の発見、超伝導の発見などがその好例である。
物理学の理論的方法の特徴は、実験の量的な精密さに応じて数学を広く深く応用するところにみられる。数学の多方面の分科が物理学の理論的研究のための手段として使われている。しかし、理論的方法は数学の応用だけに限られているものではない。類推、理想化、模型の設定なども理論においてきわめて重要な役割をする。このことは、たとえば、原子模型の形成なくして原子理論が成立しえたかどうかを考えてみればわかることであろう。
また、理論的方法は単に実験結果の解釈のために用いられるだけではない。いろいろな法則の統一的理解という物理学の基本的課題を追究するために、それらの法則をどのような概念の枠組みでとらえるかという、理論的課題の設定が重要な意味をもっている。アインシュタインの相対性理論が、マイケルソン‐モーリーの実験の解釈としてでなく、力学と電磁気学の統一という理論的課題の解決として生み出されたことを忘れてはならない。
実験的方法と理論的方法とは、単純に直列的あるいは並列的にあるのではなく、複雑に絡み合い、ときには助け合い、ときには互いに矛盾することもありながら、全体として物理学的自然認識を深める役割をしている。ある実験は理論の検証に役だつこともあるが、またある実験的発見はそれまでの理論と矛盾し、そのために理論を発展させ、さらに包括的な新しい理論をつくりだすために役だつことも少なくない。
実験的方法に加えて考えておかなければならないのは、実験装置、手段の開発である。これは、それ自身自然を知るための研究ではない。しかし、それは実験的研究にとって不可欠のものである。同様に理論的方法における数学的手段そのものの研究も一定の役割をもっている。
これらの方法を考える場合にもっとも基本的なことは、いうまでもなく、方法は対象によって規定されているということである。それゆえ、物理学の方法にとってもっとも本質的なものは、個々の実験的あるいは理論的な方法、手段でなく、正しい自然観をまず確立することであるというべきであろう。
[宮原将平・高木修二]
しばしば物理学を理論物理学と実験物理学とに大別することが行われている。しかし、これは方法による分類であって、現代の発展しつつある物理学に対応した分科とみるのは適当ではない。研究方法が高度に専門化している状況の下では、研究者の側での理論と実践の分業は避けられないが、しかし、それはただちに物理学の分科を表すものではないであろう。
物理学はまた、その発展の歴史に沿って、古典物理学と20世紀以降の近代物理学あるいは量子物理学とに分けられたこともあった。ニュートンによりまとめられた力学の理論体系は数学的に整備され、さまざまな新しい現象の発見やその探求によって、熱学、光学、電磁気学などが新たな分科として開拓され整備された(電磁波の発見により光学は電磁気学に組み込まれ、熱学は熱力学さらに統計力学へと発展した)。それらが古典物理学とよばれるもので、いわゆる力学的自然観としてまとめられるようにみえたが、実はその内部に多くの矛盾をはらんでいた。20世紀になって、それらの矛盾を明らかにする観測や新しい現象の発見などが行われた。マイケルソン‐モーリーの光速に関する実験、熱放射のスペクトルに関係したプランクの量子の発見などがそうである。前者は相対性理論に連なり、後者は原子の性質の追求と組み合わさって量子物理学へと発展した。
しかし、このような分類と名称は歴史的な意義はあるものの、誤解を与えがちである。また「古典」という名前は、現代では役立たない古臭いもの、あるいはもはや発展の余地のないものという印象を与えがちである。しかし20世紀以降でもこの分野での新しい発展を無視することはできない。たとえば流体力学はいわゆる古典物理学に属するが、20世紀以降、流体の物理学的特徴が明らかにされ、数学的手段の発達と相まって、19世紀とは面目を一新した近代的発展を遂げている。
それでは物理学の分科はどのように考えるべきであろうか。物理学の分科は、もっとも自然には、その対象とそれを探求する際の視点によって分けられるべきであろう。物理学は自然的物質とその運動をその対象とするものであるが、それはさまざまな階層に分かれ、それぞれが固有の運動法則をもっている。それぞれの階層に応じて物理学の分科があるのは当然のことといえる。しかし、他方では、それらの階層は浸透しあい、また一般的な法則で貫かれている。したがって、それら分科を固定的なものと考えることはできない。
現代の物理学は、普通にはまずマクロ(巨視的)の物理学と、広義の原子物理学あるいはミクロ(微視的)の物理学とに分類される。しかしこの分類も便宜的なものであり、両者が完全に切り離されているものではないことはいうまでもない。マクロの物理学では対象をマクロ的に取り扱い、その分科としてはいわゆる古典物理学の多くが該当する。力学(流体力学を含む)、電磁気学、熱力学などがそうである。相対性理論も、古典とはいいがたいかもしれないが、マクロの物理学である。
[宮原将平・高木修二]
広義の原子物理学は二つの部分に大別される。一つは広義の原子核物理学であり、他は物性物理学(物性論)である。
広義の原子核物理学は素粒子物理学(素粒子論)と狭義の原子核物理学とに分かれる。素粒子物理学は物質の基本的構成要素である素粒子とその運動および相互作用を研究する分野である。おもな素粒子としては、強い相互作用をする核子や重粒子およびある種の中間子を含むハドロン族の粒子、弱い相互作用をするレプトン族、電磁的な素粒子である光子などがあげられる。それらを統一的に研究し、それらの運動法則、相互作用、転化と保存則などが探求される。さらに、それらの素粒子をより深い階層でとらえ、より基本的な基本粒子(クォーク、レプトン、グルーオンなど)によって各種の素粒子を構成させ、各種の相互作用も統一的に説明しようとしている。狭義の原子核物理学は核子の多体系である原子核を研究の対象とする。多体系を取り扱うという点では(とくに方法的に)物性物理学と類似する面をもっている。しかし、基本粒子が核子であり、基本的相互作用が強い相互作用であるという点では、素粒子物理学と密接に関連している。実際、今日では核子以外の素粒子や、より深い階層の基本粒子をも考慮に入れる必要性が指摘されている。これら広義の原子核物理学は、加速器、宇宙線観測などの実験的方法の急速な進展と相まって著しい発展をみせている。
重力は古くから知られている力であり、古典力学の枠組みで取り扱われていた。一般相対性理論により、重力は時空の構造と結び付けられ宇宙論と深くかかわるようになった。宇宙の構造と運動がしだいに明らかになるとともに、現在の宇宙をはるか過去にさかのぼって、いわゆる宇宙初期の運動やそこでの物質生成が論じられるに至って、物質の基本的構成を研究する素粒子論と結び付いて研究せざるをえなくなった。この意味で、重力は宇宙論や素粒子論と密接に結び付いて研究されている。
物性物理学は原子以上のレベルを対象とする点では化学と共通する面があり、化学物理学とよばれているものとの差異はあまりない。しかし、それは、いくつかの点で化学とは異なっている。化学は原子の集団(たとえば基)の質的特徴を対象認識の重要なものとしてとらえている。それに反し物性物理学では、電子という一つの素粒子の運動を基礎として、多体問題的手法を使って(化学的)物質の固有の性質を解明しようとするものである。したがって、原子核やその集団の役割は与えられた場として考えられ、電子の一般的な運動法則がその出発点となる。それゆえに、個々の原子を対象とする狭義の原子物理学もまた物性物理学の一分科と考えられることもある。それは物性物理学の一つの出発点というべきかもしれない。物性物理学にはもう一つの出発点ともいうべき分科がある。それは分子論的物性論とも名づけられたことのあるものであって、電子運動と直接関係をもつものではない。それは多少とも模型化された分子の集団運動を多体問題的手法を用いて明らかにすることであり、液体論や格子力学において著しい進展をみせている。化学の研究対象の基礎には原子があるため、原子や分子を対象とする物性物理学の分科は構造化学と浸透しあい不可分のものとなっている。また、物質のいわゆる化学的性質(このことばはそれぞれの物質の固有の性質をさすことが多いが)は、電子運動から解明されることがあるので、この点でも物性物理学は化学と浸透しあっている。
物性物理学の対象は原子以上のレベルに大きく広がっているが、とくに固体を対象とする研究が著しく進展している。それゆえ「固体物理学」はほとんど「物性物理学」と同義に使われる。外国語では「物性物理学」に相当することばはなく、固体物理学にあたることばだけである。たとえば、わが国の「物性研究所」は英語ではInstitute for solid‐state physics(固体物理学研究所)である。しかし、物性物理学を広義に解するときは、その一方の端に原子・分子の物理学を含み、他の端には生物物理学をも含むものと考えられている。物質の固有の性質ということの延長上には生体物質の生物学的特異性があるだろう。それを電子論的に解明する課題は一種の物性物理学の問題であろう。また、その実験的手段も物性実験のものと共通のものが少なくない。
[宮原将平・高木修二]
物理学の対象領域は広大で、そこには物質のさまざまな階層、レベルが含まれるために、その分科は細分すればきわめて多種かつ複雑なものとなる。次にいちおうの目安を与えるために、現在行われている若干の分類を掲げる。
初めに、もっとも簡単な便宜的なものとして、文部科学省が研究費審査のためにとっている分類を示す。この分類は2002年度(平成14)までは、(1)核・宇宙論・素粒子、(2)固体物性、(3)物性一般、(4)物理学一般、という四つの細目からなっていたが、2003年度からは次の6細目になった。(1)素粒子・原子核・宇宙論・宇宙物理、(2)物性Ⅰ(光物性・半導体・誘電体)、(3)物性Ⅱ(磁性・金属・低温)、(4)数理物理・物性基礎、(5)原子・分子・量子エレクトロニクス・プラズマ、(6)生物物理・化学物理。なお、プラズマ科学が物理学とは別に分科として設けられている。この分類は審査の便のためであり、かならずしも合理的ではないが、対象による分類であるという点である程度の一貫性がある。
次の例として日本物理学会の年会時の分科を示す。これは学会講演を整理分類するためのもので、物理学の分科をさらに細分化したものになっている。2003年秋の大会のそれは以下のとおりである。大きく「素粒子など」と「物性」に分かれ、「素粒子など」は、(1)素粒子(理論・実験)、(2)宇宙線(重力・宇宙論を含む)、(3)原子核(理論・実験)に分かれる。「物性」は次の領域に分かれる。(1)原子・分子・量子エレクトロニクス・放射線物理、(2)プラズマ物理・核融合・放電、(3)磁性・磁気共鳴、(4)半導体・メゾスコピック系・局在、(5)光物性、(6)金属・量子液体・固体・超伝導・密度波、(7)分子性固体・有機導体、(8)強相関係(高温超伝導、強相関電子系など)、(9)表面・界面・結晶成長、(10)誘電体・格子欠陥・X線・粒子線・フォノン物性、(11)統計力学・物性基礎論・応用数学・力学・流体物理、(12)ソフトマター物理・化学物理・生物物理、(13)物理教育・物理学史。
いささか細かすぎる感を与えるが、学問体系としての分科というよりは、現在の研究の対象がどのように広がっているかを示すものと受け取ってほしい。またここにはマクロの物理とミクロの物理が混在していることも注意しておく。
[宮原将平・高木修二]
物理学が他の個別科学と浸透しあっていることは、化学との関係ですでにみたところであるが、境界領域の発展が現代の自然科学の発達の一つの特徴とみられるだけに、とくにこの点について述べよう。
[宮原将平・高木修二]
もともと物理学とくに力学は天文学とは不可分の関係にあった。ニュートン力学の完成は惑星の運動の研究を抜きにしては考えられない。ニュートン力学完成後も、その応用としてもっとも威力を発揮したのは天体力学であった。それは現在も位置天文学として残っており、人工衛星やレーザー光の利用などの新しい研究手段と結合し、測地学とも関連しながら物理学の一つの周辺をつくっている。
また、天文学との境界領域には、宇宙の進化、銀河の生成発展、星の生成・進化・死滅などをも含んだ宇宙物理学がある。宇宙を議論するときに一般相対論は欠かせないが、そのほかにも宇宙物理学は物理学と深いかかわりがある。星の進化は素粒子・原子核物理学を用いて説明される。宇宙の進化は、いわゆるビッグ・バン理論により、素粒子およびその相互作用の分化と密接に結び付けられている。超マクロ的対象である宇宙と超ミクロ的対象である素粒子とがこうして密接に関係しあっていることは興味深い。
原子核、素粒子の実験的研究には強力な粒子加速器を必要とする。このような加速器を製作するためには最高の総合技術を必要とするため、周辺科学としての加速器物理学(工学)を生み出した。同様のことは低温物理学(工学)についてもいえることである。
[宮原将平・高木修二]
実験データの処理、その解析、理論計算の遂行に計算機は欠かせないものとなっているとともに、シミュレーションやモンテカルロ法などを駆使して、いわば仮想的実験を行うことにより法則を探ることも行われるようになった。このような新しい手法は情報科学との接点でますます広がりつつある。さらに、情報処理に関して量子力学的効果を積極的に取り入れた量子情報通信・量子情報処理、いわゆる量子コンピュータが研究されている。
[宮原将平・高木修二]
結晶学は固体物理学の一つの基礎的分科といえるが、もともとは地学の一分科である鉱物学からおこったものであった。X線が結晶の構造解析に使われるようになってから、物理学と鉱物学の境界領域に位置するものと考えられ、さらに化学とも密接に関係するものとなっている。また、地球物理学は地学の分科でもあるが、物理学の周辺分科とも考えられる。地球物理学は、初めは弾性体力学や流体力学や熱力学が、地殻や海洋や陸水や大気というマクロ物体に適用されたものであり、物理学の一つの応用として出発した。しかし、地球を歴史的に変化する複合された対象としてとらえ直すとき、それは地球科学の分科としての地球物理学へと変わりつつある。一方、地質学は地殻を対象としており、元来、地球の歴史性を重視している。それゆえ、現在では、対象の特殊性に即して、地質学と地球物理学を一体とみて固体地球科学という領域が考えられるようになっている。地球物理学の他の分科である海洋学や気象学は、応用科学としての面が大きい。
[宮原将平・高木修二]
物理学と生物学との境界領域は著しく発達しつつあるものである。物理学の対象はもともとは無機的自然であって生物を含まない。一方、生体物質としてもっとも重要なタンパク質や核酸はそれ自身は生物ではない。それら生体物質の化学的組成や生体内の化学反応を研究するものとして、初め生化学が生まれたが、それら生体物質の原子・分子的構造を研究し、また生物的機能の基礎的なものを物性物理学的方法で研究するものとして生物物理学が生まれた。生物物理学は、初め物理学的手段を用いての生物研究のように考えられたが、現在では、むしろ物理学がその対象として生体物質をも取り入れたものと考えるべきであろう。生物物理学の核心的部分は分子生物学と考えられ、それは生物学の一つの基本的分科とも考えられるまでになってきている。
[宮原将平・高木修二]
物理学はさらに生理学や心理学との境界領域をもっている。音響学や色彩学がその例である。色は物理的であるばかりでなく心理的なものである。たとえば、色彩を量的に(座標を用いて)表現しようとすれば、そのスペクトル分布をそのまま使うことは適当ではない。三原色原理がすでに明らかにしているように、色彩の量的表現すなわち色座標は、心理的な色彩空間に対応してつくられている。これらの境界領域もまた応用科学の面と結び付いている。電気音響学、建築音響学、照明学、映像工学などは、これらと深く関係する応用科学である。
[宮原将平・高木修二]
物理学という個別科学分野の展開の過程を扱う。そこには、物理学の内容にかかわる側面と、歴史的側面とがある。すべての科学がそうであるように、物理学もまた人間の社会的実践の一環として形成されるものであるから、論理体系の内面的な発展のみでなく、その展開の契機を与える社会的状況、すなわち思想や技術的水準、生産構造、さらには社会体制といったものも必要に応じ考察の視野に入れられなければならない。物理学のよってたつ思想的基盤、技術的基盤が、歴史の面からの射影として、物理学史を形づくってくるのである。
物理学が個別科学としてやや特殊な性格をもっていることも物理学史の性格を特徴づける。自然科学の多くの分野は、普通、特定の対象、たとえば動物とか天体などを取り上げ、その形態、存在の様式、運動形態を追求解析する。これに対し物理学はかならずしもそのような固有の対象をもってはいない。古代ギリシアの自然学に発し、ニュートンの自然哲学の系譜をたどった物理学は、その形式の発端から自然そのものの論理を問い、対象を超えた普遍的なものとしての物質像を追求してきた。そのため対象はかならずしも特定されず、しばしば広範にわたり、化学的な領域や宇宙、あるいは生命なども物理学の考究の対象として組み込まれてくる。このような性格は物理学史を多岐なものにしている。
物理学と技術との関連もきわめて密接なものである。これは今日までの産業の構造の発達形態のゆえもあるが、よかれあしかれ産業革命以降、工業技術を中心として現代までの産業社会が動いてきたことは、工業技術の基礎としての物理学を、技術ときわめて密着させたものにしてきた。一方では実験科学としての物理学の研究の手法が、実験手段という面で技術水準と密着している面もあり、物理学の展開と技術の発達とはいわば表裏一体の感がある。
技術はもとより社会性をもつ。産業であれ、軍事であれ、あるいは政治であれ、それらはしばしば技術によって動かされ、その根底は物理学と直結することも多い。その反作用として物理学はしばしば社会のなかでの去就を問われ、その位置づけと機能が論議されてきた。それは物理学史の、物理学の社会史としての側面を形づくる。
自然の普遍的論理の追求という物理学の性格は、当然ながら自然観を通じて思想とはきわめて密着した面をもっている。地動説や相対論などの例をあげるまでもなく、それは思想や哲学に直接影響を与え、また同時にその時代の思想をも反映する。
物理学史の構造は、このように自然観と論理性という思想的面、実験による実証と、その成果の応用という技術との関連、およびこれらを仲立ちとしての社会史的面などから考察されなければならない。その視点によって、物理学の論理の発展をたどる内的歴史、社会史的な位置づけを試みる外的歴史の名が用いられることもある。
以下では主として内面史に力点を置いて概括を試みる。
[藤村 淳]
実験的手法が系統的に探究の方法に組み入れられるまでは科学以前とみる向きもあるが、ギリシア自然学は物理学にとって欠くことのできない一つの段階ではあった。
実際、事物の存在の論理を追求するという物理学の性格は、まずギリシア人たちが「自然とは何か」と、その本質(アルケー)を尋ねたときに定められたのである。合理的・論理的に自然の解釈を求めようとするこの探求は、物理学の思想的側面の始まりであった。初期にはそれはむしろ自然観、世界観、あるいは哲学思想として開始される。ミレトス学派の万物の根源を一元的にみようとする思想、ピタゴラス派の数理的自然観は、やがてソフィストたち、あるいはプラトンの哲学を経て、抽象化とそれによる厳密な論証の追求という性格を備え、やがてアリストテレスの自然学に到達する。それは形相と質料――いわば本質とその現象形態との意識的区別――を獲得し、またこれを基礎とする物質の要素的把握(すなわち元素論)の成立をみる。これは物質の機能的要素性ではあったが、多元論的(四元素)思考によって数多くの物質の相互連関を統一的に理解しようとする普遍性をもった自然観であった。一方、物質の存在論としての要素性への追求もデモクリトスの原子によって行われ、「ケノン」(空虚)によって空間概念が導入される。これは、物質と物質とは独立な空間とを分離するとともに、世界の連続性、不連続性の問題を提起する。そして自然の要素性も、原子に求められる存在と元素概念に希求される機能という二つの側面から探究されることとなった。
しかしながら、ギリシア自然学は経験事実への立脚という面では未熟である。意識的に観察を強調したアリストテレスにおいても、なお事実は副次的であり観念と論理性とが先行した。事実、不十分な観察を出発点にしつつ論証を進め、それを優先させたところに、たとえば真空の否定など、しばしば彼の自然学の破綻(はたん)が現れる。ギリシア自然学は自然の理性的解釈とその論理性を確立はしたが、まさにその点で限界を露呈したのであった。
しかしアレクサンドリア期に入ると応用面への視点が開かれる。地球の大きさの測定、太陽と月への距離の比較などは論証の定量的な形での現実的な世界への実践的適用であった。とはいえ、それは多分に幾何学的レベルにとどまるものであったことは、注意しなければならない。抽象的な論理が幾何学においてまず確立されたことの反映ではあるが、物質の論理はいまだ登場しない。実験的ともいえる手法を用いたアルキメデスにおいても、実験による法則性の追求は、証明すべき命題に到達するための、いわば補助的手段であった。命題そのものはやはり幾何学的に証明されて初めて法則としての位置をかちうるものだったのである。経験あるいはそれを整理したものは法則ではなく、したがって「経験法則」なる概念はなお成立しえないものであった。
[藤村 淳]
思想よりも事実に重点を置き、経験のなかに真理をみいだそうとする志向は、新しい世界を追求したルネサンスの産物である。その背景には、固定化した中世世界への批判、すなわち権威や教義への不信があり、基本的には蓄積された生産技術の進展とそれの社会体制との矛盾があった。
中世の封建制を音高く打ち壊した火薬と大砲は新時代の技術を象徴していた。「経済は資本主義的に、文学芸術は古典的に」移行する過程で世界観の変革も生ずる。コペルニクスの地動説は宇宙の中心にある不動の地球という絶対性を破壊して、太陽を中心とする惑星群の家族の一員としての地球という新秩序を与え、世界観変革の先鞭(せんべん)をつけた。一方、新しい社会への胎動は、職人層をバックとする新興階級に事実と経験の重みを悟らせる。こうしてレオナルド・ダ・ビンチの「事実に対する鋭い観察」から、ビリングチオ、アグリコラらの技術の体系化が進展し、一方、新技術の内容づけとしての科学的究明が磁石、大砲の弾道などで実践されていく。そして意識的・合理的な形での事実の確認と、それに基づく推論の方法とをガリレイが動力学で取り上げたとき、ここに実験の方法が科学に導入されたのであった。実験が論証と結合され、F・ベーコンのいう「経験が読み書きを習い」、「職人と僧侶(そうりょ)との結婚」が実現されたとき、近代科学としての物理学が開始されたのである。ガリレイの動力学は、既成の学説の権威にではなく事実のなかに真理をみいだすことによって構築されたが、その体系的展開は推論のみごとさによるものであった。もっとも「円運動の慣性」のように論証が事実に先走り、いくらかの「勇み足」をも犯しはした。
新世界を説いたブルーノを焚殺(ふんさつ)し、ガリレイを裁くなど反撃した宗教界は、結局は近代的科学の前に敗退し、時代は創造的精神の流れの下に動いていく。ベーコンは『ノウム・オルガヌム』において科学の役割を展望し、その研究体制の鳥瞰(ちょうかん)図を描いた。ついでデカルトは疑いのない事実から出発して演繹(えんえき)的推論を進める厳密な論証の方法を数学的証明と関連させつつ樹立し、ここに物理学の方法が基礎づけられる。
学問研究の連帯的な場としての学会は16世紀後半から17世紀にかけて誕生し、イギリスの王立協会、パリ科学アカデミーなどの活発な活動の時期を迎える。
[藤村 淳]
コペルニクス、ガリレイ、ケプラーをそれぞれピークとしてほぼ達成された天体運動の解析と、地上の物体の運動を解明したガリレイの動力学の後を受けて、両者を結合し自然界を統一的に把握する力学的世界をつくりだしたのはニュートンである。万有引力による天上界と地上界の一体化であった。デカルトの慣性法則を力学の基礎に位置づけ、運動の原因としての力の概念を確立し、さらにホイヘンスの業績にかかわる作用と反作用の法則を置いて、ここに力学は論理体系として完成化される。質量概念、力の概念の不明確さや遠隔力としての万有引力の形而上(けいじじょう)学的性格は残っても、その緻密(ちみつ)な論理構成と流率法(微分法)による数学的武装のみごとさは、近代科学の範とするに足るものであった。万有引力の形而上学的性格をめぐるデカルト主義との対立はニュートンをして「われ仮説をつくらず」といわしめたが、これとてフランス革命政府の手による地球子午線の測定によって一つの決着がつけられて以後は、ニュートン主義の確たる勝利として力学的世界像の定着をもたらすこととなる。デカルト的連続世界にかわる粒子的描像、物質とは独立な絶対時間と絶対空間、それらによる因果的・決定論的記述、等々はやがて力学的世界観を基礎づけ、物理学を支配するものとなった。それは「理性の時代」を支える精神的支柱であった。
なお、ニュートン的決定論では、いままでの全能者神は、初期条件を定める創造者の位置に後退する。名誉革命を経たイギリスの、立憲君主制の成立という時代的背景は、かならずしも偶然ではないであろう。
やがて現出される数理的科学の時代もこの延長線上に把握することができる。ラプラスの活躍や、静力学と動力学を統一したダランベールに発する解析力学の進展は、力学の内容をより精細に、さらに豊かに内容づけて、海王星の予言と発見に至る力学の勝利の行進を彩った。
[藤村 淳]
産業革命を境にして社会に新しい様相が現れてくる。産業革命の実りが技術を通じて科学のなかに結晶してくる時期、それが科学文明の建設期である。古い世界観の打倒、新しい技術の開発、ここから科学のさまざまの新しい分野が開けてくる。産業と科学とが、産業から科学への向きでしだいに緊密化し、この時代の科学は産業の発達を抜きにして語ることはできない。物理学もまた、蒸気機関からの熱力学の誕生を例にとるまでもなく、工業技術のなかから育っていった。
ところで、19世紀の前半期までは、18世紀の物理学の成果の引き継ぎとして、物理的世界は力学の世界であった。理想化された太陽系、物体の運動を形式化し抽象した解析力学、静電気学と熱学に表れた保存則、そして静電荷の間に働くクーロンの逆2乗の力、これらはいずれも力学のこのうえない支持として19世紀の自然観を支配した。力学的自然観の発想の基盤は物質とそれを入れる枠としての空間の明確な分離にあるが、ここで物質は機械論的粒子として、空間は虚無の絶対空間として定められる。あるいは、無限で連続な空間と、有限で不連続な物質というように、空間と物質、連続と不連続とが対置されたうえで一義的に積み重ねられているともいえる。
その意味では古典光学がかちとった波動説の勝利は、波の媒質を空間内に持ち込む点で力学的自然観に一つの揺さぶりをかけるものであった。しかし媒質エーテルを力学的な物質と解釈すると、わりに容易に力学の考えのなかに織り込むことができる。他方、熱学はもっと革命的であった。力学的自然観の落とし子、熱素(カロリック)を追放して、よりスマートなエネルギーへと移ったとき、物質の不連続性にかわって連続な概念が熱現象の物理学の基礎に置かれることになった。エネルギー保存の法則およびカルノーの法則を基礎として築かれた「熱の力学的理論(熱力学)」は、こうして体系化の途中で、物質の粒子性・不連続性に基礎を求めて気体の運動学的理論への道を分ける。そしてこの二つの理論が並んで発展するなかで、不可逆性の問題がしだいに焦点となり、古典力学の決定論的因果律とは異なった考えが要求されるようになる。
電磁気学はいっそう異質である。電気力学としてニュートンの体系になぞらえて出発した電磁気学は、ファラデーからマクスウェルへの道で近接作用から場の理論へと進み、やがて光を電磁波として含み込んで、連続の物理学を建設した。粒子と場の対立はここでいっそう尖鋭(せんえい)になる。
こうした新しい諸分野の登場は、自然の多様な諸相を明らかにし、同時にすべてを基本的には力学の法則に帰しうるとみる力学的自然観を揺るがすものとなった。力学法則は統一的な普遍原理としての座を失い、力学的自然観の崩壊と凋落(ちょうらく)が始まる。電磁的自然観も提唱された。力学の内部自体に向けられた概念批判の一連の動きは、質量の概念の再吟味、絶対運動、絶対時間、絶対空間の考えの批判となって力学の深化に貢献する一面で、新たな自然科学的認識論をも生み出して、思想界にも影響を及ぼした。
力学批判の別の形は、エネルゲティークの誕生と、その原子論への攻撃として現れる。近代原子論は化学から生まれているが、「19世紀最大の科学」とよばれた化学の進歩によって古い形の「原子論」は実状にあわなくなり、力学的自然観に裏打ちされた原子論への不信が高まってくる。おりからエネルギー原理が、その普遍性・統一性を備えて登場し、熱力学が有効性を発揮し始めると、エネルギー原理こそ自然の最終的法則であり、自然科学はエネルギー変換の学であるとするエネルゲティークの考えが生まれた。これはやがて実証主義の哲学と結び付いて「目に見えぬ」原子や分子を仮説として排撃し、直接観測される量、とくにエネルギーこそ科学の真の対象、根本的実在とするようになる。マッハ、オストワルトの指導下に、ハレ、リューベックなどで原子論の擁護者ボルツマンと激しい論争を闘わせた「エネルゲティークと原子論の対決」は古典物理学の終幕を彩るものであった。
この流れの背景には、自然科学の影響が強く刻みつけられた哲学の動きがある。いわゆる俗流唯物論の系統では、K・フォークト、モレスコットの生理学的唯物論や、ビュヒナーの哲学が流行し、これに対する批判としては、新カント派や、バークリー、D・ヒュームの流れをくむ「記述主義」、さらには「経験主義」「実証主義」が登場する。
デュ・ボア・レイモンは自然科学の限界を強調して観念論的不可知論を展開した。進化論者E・H・ヘッケルがこのような自然科学的形而上学の流れに抗して唯物論的な立場から組織した一元論者協会も、自然科学的な認識方法を徹底させようという点で立場が一致していたオストワルトが主流を担うようになって、実証主義的な形へ進んだのも時代の流れであった。その出発は不可知論の根源となる仮説の排撃、そのかわりとしての経験の重視であり、実証主義が備えた一面の進歩性への耽溺(たんでき)であった。
熱力学と電磁気学という二つの体系で特徴づけられる19世紀の物理学は、このような思想的背景のなかにいちおうの完成とその裂け目とをみせつつ、時代は、新しい一連の事実の発見をきっかけにして急速に新物理学の建設期へと動いていく。
[藤村 淳]
19世紀もあと四半分を残すころには、古い形の物理学はほぼ完成に近づいていた。「物理学は高度に発展した、ほとんど完成の域に達した学問であり、エネルギー保存の原理の発見によって月桂冠(げっけいかん)を頂くようになったいまとなっては、それが最後の安定な形をとるのもほど遠くはないであろう」(プランクの師ヨリーの言)。これが当時の物理学者たちにほぼ共通した考えであった。
実際、実験的にますます声価を高めつつ、理論的に整備された美しい形式を誇っていた力学をはじめ、輝かしい数々の成功と統一的な原理で人々を魅了した熱力学、不可逆性をも解明してみせた気体の運動学的理論、さらには電磁気学の諸法則を一つにまとめあげたマクスウェルの場の理論、それによる光の本性の解明、ヘルツによる電磁場の検証と、力学・熱学・電磁気学の全分野にわたって、理論・実験のいずれの面でも物理学は揺るがぬ牙城(がじょう)を築き上げたかのようであった。
しかし、このようないちおうの完成は、同時に崩壊の芽を含むものである。物理学の発展が頂点に達したかのようにみえたちょうどこのおり、物理学に変革の嵐(あらし)が吹き始めた。いくつかの分野の間でそれとなく現れていた矛盾が、境界領域を通じてしだいにはっきりしてきたのである。熱学と力学の境界の「熱輻射(ふくしゃ)論」、力学と電磁気学の間の「運動物体の電気力学」が、量子論と相対性理論への糸口をつくる。
しかしもっと直接のきっかけは新しいさまざまの現象の発見であった。陰極線の発見、X線の発見、さらに続いておこったウラニウム放射能からラジウムなど放射性元素の発見は、それまでの物理学とは違った新対象を準備した。陰極線の本体としての電子や、α(アルファ)・β(ベータ)・γ(ガンマ)線が解明される過程で、物理学はミクロ(極微)の領域――原子の世界へと踏み込んでゆく。これらの領域でいままでの物理学の法則がそのまま成り立つことはけっして自明ではないが、かつて天体の運動と地上の法則を一つの力学法則のもとに統一した物理学者たちからすれば、古典物理学の諸法則がここでも成り立つとするのはいわば当然の成り行きであった。ところが、古典論による解明が続けられる過程で覆いがたい矛盾が現れ、古典物理学への不信、ひいては絶望感が現れてくる。とりわけ、原子が不変でないことの発見や、電子の質量が速度によって変わることの発見は、それまでの物質観にとっては強い衝撃であり、広く危機意識を生み出すことになった。「ニュートンの原則、マイヤーの法則、ラボアジエの法則、カルノーの法則など、すべての古い物理学の法則が崩壊に瀕(ひん)し、数学的物理学の危機が到来した」(J・H・ポアンカレ)。こうした危機感から思想的混乱が生まれ、物理学者たちは、あるいは信用できるものは事実だけであるとして理論への不信へ向かい、あるいは「物質は消滅した」と物質の否定へも向かう。実証主義、経験主義が流行し、また「科学は客観的な自然をうつし出すものではなく、人間の意識の産物にすぎない」とか「科学の役割は経験を忠実に記述することにあり、自然の本質を説明することではない」というような主張も述べられる。
しかし物理学の進歩は、このような思想的な混乱にもかかわらず、一歩一歩事実を明らかにし、事実によって自然を解明していった。めまぐるしい変革の過程を通じて、誤った解釈や主観的な傾向はだんだんに克服されて、物質の学としての物理学が確立されていったのである。
このような物理学の変革の契機は、産業の進歩に伴う技術の開発であった。
19世紀もなかばを過ぎるころから、それまでのイギリスの優位はしだいに揺らぎ、産業の進歩は全ヨーロッパに拡大する。とりわけ国民的統一を達成したドイツでは製鉄、製鋼、金属、さらに電気工業が発達し、化学工業とあわせて近代的な工業国家が成立した。科学と産業の結び付きの重要性の認識のうえに建設された国立理工学研究所を舞台に、量子の発見につながる熱輻射研究など、新しい物理学の幕開きが演じられるのもけっして偶然ではない。そして一方のイギリスではJ・J・トムソン、ついでラザフォードを所長とするキャベンディッシュ研究所が実験物理学のメッカとして次々に原子の世界を暴き出すのである。
理論面では新しい物理学の論理が相対論と量子論によって打ち出された。それらは古典物理学の諸概念を打ち壊し、新たな物理学の形式と描像を導入した。時空の相互関連、質量エネルギー、物理量の同時観測可能性の問題、粒子と波動の二重性など、世人を驚かせるに十分なその内容は、「嵐のような進展」と相まって、アインシュタインやプランクのような人々すらのちには理解に苦しむものとなり、認識論的論争の主題ともなる。
物理学研究の主流はそれぞれの学会やアカデミー、大学の研究室から、しだいに国家や企業が設けた研究所へと移っていき、またノーベル賞やソルベー会議にみられるように、一国の規模から国際的な規模へと拡大し始める。物理学と産業の結合はきわめて緊密になり、そこへ政治の影が色濃く落ちる時代となったのである。
[藤村 淳]
量子力学の形成後、まもなく物理学はさらに新しい段階に入った。1932年を一つの境として原子核の領域が開発され、原子の領域とはまたさらに異なった原子核、素粒子の世界が開かれたからである。高電圧、高真空の実現から高エネルギー領域へ物理学は踏み込み、陽電子・中性子の発見、原子核の人工転換、人工放射能、核反応・核分裂とその進歩は著しい。
時代は第二次世界大戦の前夜となり、ファシズムの勃興(ぼっこう)と科学の軍事化の傾向、ナチスによるユダヤ人科学者の追放と亡命科学者の輩出、そしてアメリカの物理学の発展へと推移する。
原爆の使用という不幸な形で終わった第二次世界大戦後も、軍事的な歪曲(わいきょく)の形態は変わらず引き継がれた。実験装置の巨大化、研究経費の膨大化、そして物理学研究の組織化の進展という事情がそれを裏打ちするものとなり、一方では物理学と国家や社会との関係をいっそう強固なものにしてゆく。自然科学の社会的責任が問われながらも、ひずみはいっそう増大する傾向をもちつつ今日の巨大科学への道がたどられてくる。この間、固体物理をはじめ生命物理、宇宙物理など物理学はますますその前線を拡大し、多様化と専門的な分化の過程を歩みつつ、一方では社会との関連の度合いを強め、今日では政治や軍事とも直結する様相を深めてきている。
未来の物理学の歴史が人間の歴史をより豊かにする道はどこに求められるものであろうか。物理学史の課題はその展望に資することでなければならない。
[藤村 淳]
『『天野清選集』1・2(1948・日本科学社)』▽『石黒浩三他編『朝倉物理学講座』全19巻(1965~1967・朝倉書店)』▽『湯川秀樹監修『岩波講座 現代物理学の基礎』全11巻(1972~1978・岩波書店)』▽『伊達宗行他著『朝倉現代物理学講座1、2、4、7~13』(1980~1994・朝倉書店)』▽『園田久他著『物理学ライブラリー』全11巻(1982~1985・朝倉書店)』▽『江沢洋著『物理学の視点』(1983・培風館)』▽『戸田盛和他監修『物理ブックガイド100』(1984・培風館)』▽『米満澄・広瀬立成著『図説 物理学』(1987・丸善)』▽『江沢洋著『続・物理学の視点』(1991・培風館)』▽『近藤都登編『現代物理学読本』(1991・丸善)』▽『戸田盛和著『物理学30講シリーズ』全10巻(1994~2002・朝倉書店)』▽『湯川秀樹著、江沢洋編『理論物理学を語る』(1997・日本評論社)』▽『L・M・ブラウン他著、「20世紀の物理学」編集委員会編『20世紀の物理学』全3巻(1999・丸善)』▽『物理学大辞典編集委員会編『物理学大辞典』第2版(1999・丸善)』▽『豊田利幸著『物理学とは何か』(2000・岩波書店)』▽『和田純夫著『一般教養としての物理学入門』(2001・岩波書店)』▽『竹内均著『現代物理学の扉を開いた人たち』(2003・ニュートンプレス)』▽『朝永振一郎著『物理学とは何だろうか』上下(岩波新書)』▽『中村誠太郎著『20世紀物理はアインシュタインとともに』(講談社ブルーバックス)』▽『アインシュタイン、インフェルト著、石原純訳『物理学はいかに創られたか』上下(岩波新書)』▽『池内了著『物理学と神』(集英社新書)』▽『朝永振一郎編『物理の歴史』(1953・毎日新聞社)』▽『カジョリ著、武谷三男他訳『物理学の歴史』(1965・東京図書)』▽『広重徹著『物理学史』全2巻(1968・培風館)』▽『ウィリアム・ウィルソン著、矢島祐利・大森実訳『近代物理学史』(1973・講談社)』▽『高村泰雄・藤井寛治・須藤喜久男編『近代科学の源流 物理学篇』全3巻(1974~1977・北海道大学図書刊行会)』▽『J・D・パナール著、鎮目恭夫・林一訳『人間の拡張――物理学史講義』(1976・みすず書房)』▽『日本物理学会編『日本の物理学史』上下(1978・東海大学出版会)』▽『広重徹著『近代物理学史』(1980・地人書館)』▽『F・フント著、井上健・山崎和夫訳『思想としての物理学の歩み』上下(1982~1983・吉岡書店)』▽『小野山伝六・三谷健次編『物理学史と現代物理学』(1990・朝倉書店)』▽『日本学術会議物理学研究連絡委員会編・刊『日本の物理学――明日への展望』(1994)』▽『「科学朝日」編『物理学の20世紀』(1999・朝日新聞社)』▽『西条敏美著『物理学史断章――現代物理学への十二の小径』(2001・恒星社厚生閣)』▽『竹内均著『物理学の歴史』(講談社学術文庫)』
〈物理〉がphysicsの訳語として定着したのは明治以後であるが,漢語として〈物の道理〉を示す意味で用いられたのは古い。現在の物理学に近い概念を表すことばとしては,幕末〈窮理学〉〈格物学〉〈理科〉〈理学〉などがあり,1863年(文久3)洋書調所が開成所に改組されるに当たっての学科名としては窮理が採用され,その後理学に変わり,また65年(慶応1)長崎の分析究理所の科目名に物理の名がみえる。明治政府の学制の整備に伴って,72年(明治5)小学校の教科書に文部省は片山淳吉の《理学啓蒙》を採用し,直ちに《物理啓蒙》と改名,77年文部省が翻訳編集した《百科全書》中の1巻に〈物理学〉があり,81年井上哲次郎の《哲学字彙(じい)》という洋和対照辞典ではphysicsに物理学が当てられているから,ほぼこのころから訳語として定着し始めたとみてよい。
physicsの語源はギリシア語のフュシスphysisで,諸説あるが,ここでは,〈みずから成長する〉という意味のphyseinから生まれたと解しておく。直接的にはギリシア語のphysika,すなわち〈自然の事物〉の意を受け,アリストテレスの《自然学physika》に象徴されるように,それを扱う学問の意味で用いられた。ちなみに自然学として,ラテン語でもphysicaがそのまま転写して使われるが,意訳されるときは〈de rerum natura〉とされるのが習慣で,これを日本語で〈ものの本性について〉と訳すのは適切ではない。
こうした語源からいって,もともとphysicsは,自然についての一般的な知識の追究総体をさすことばで,例えば英語でも,16世紀に使われ始めたときはそうであった。したがって今では医師(内科医)の意味を表すphysicianも自然学者という内容をもっていた。またアリストテレスにあるphysiologia=physiologyもほとんど同様の意味で用いられ,ここから〈生理学〉に当たる概念が独立,分離するのは後年のことである。同じようにphysicsが今日の物理学として独立したのは19世紀である。〈物理学者〉の意味のphysicistはW.ヒューエルが1840年に〈力と物質,および物質の諸性質について〉とくに専門的に研究する人間として新しく鋳造したことばであって,そのころヨーロッパで,実質上物理学が成立しつつあったことを物語っている。
物理学は,自然現象のなかで,物質,力,エネルギーを基礎概念としてとらえられるようなものを扱う学問であると一応の定義を与えることができる。原則として無生物界のみを対象とする点で生物学と,また,物質を扱いつつも,それ自体の変性や変化には立ち入らない点で化学とは異なるとこれも一応いっておくことができる。ただ,物理学は,のちにみるように,自然科学の中の一つの分野であると同時に,自然を探究する際の一つの(有力な)態度もしくは方向をも含意するために,今日では,それは化学,生物学の境界を超えて,そうした領域にも深く食い込んでいる。
歴史的にいえば,物理学の歴史は,古代ギリシア以来の自然学からそれが分離,独立する過程としてとらえられる。当然のことながら,アリストテレスが代表する古代ギリシアの自然学には,天体現象から生命現象に至るいっさいが含まれており,しかもそうしたすべての現象は有機的連関を保ち,統一的な概念枠のなかで把握されるべきものであるという前提があった。したがって,それは,自然観であると同時に哲学そのものでもあった。
その本性はイスラムに渡っても同様であり,〈12世紀ルネサンス〉を経て,西方ラテン世界に導入されたときにも変わらなかった。変わった点があるとすれば,13世紀に西方ラテン世界で成立したスコラ学は,アリストテレス的自然学をキリスト教神学の傘下にがっちりと収めることに成功しており,それゆえ,そこでは自然学は,さらに哲学であるのみならず神学でもあることになった。ルネサンス期にヨーロッパ世界は,広義の新プラトン主義の奔入を受け,非常に動的で一種魔術的な自然観を新しく手に入れた。静的で整然たる秩序を合理的と考えるスコラ学と,新たに加わった動的で象徴主義的な自然の姿を合理的と考えるルネサンス自然観との葛藤や融合のなかから,コペルニクス,ケプラー,ガリレイ,デカルト,ニュートンらの,16世紀後半から17世紀へかけてのいわゆる科学革命期の仕事が生まれてくる。彼らの仕事は,しばしば,今日の物理学の基礎を築いたと考えられるが,少なくとも歴史的にみる限り,ことはそれほど単純ではない。第1に彼らは例外なく,依然として自然学を聖なる構造のなかで(つまりキリスト教神学の有機的一部として)とらえており,第2には,彼らの多くはルネサンスの自然観に濃厚に浸されていて,ニュートンの体系でさえ今日の物理学の性格とはおよそ異なった神秘的な要素を色濃くもっていた。
→自然
しかし,18世紀以降しだいにあらわになる〈物理学的〉(と呼びうる)な態度は,前代のそうした人々の仕事のなかのある特定の部分を誇張し選別して凝縮した結果として成立したものであるといえよう。ここでいう〈物理学的〉態度とは,おおまかにいえば二つに分類される。その一つは,原子論的発想である。それ自体はデモクリトスにまでさかのぼりうる原子論は17世紀前半のヨーロッパに大々的に紹介されて,きわめて多くの信奉者を獲得する。真空のなかを色も味も匂いもその他いっさいの感覚的性質をもたない原子がしかるべき運動をするというそれだけの構図で,この宇宙におけるあらゆる事物を説明しきろうとするこの発想が,18世紀以降の自然学の中心を占めるようになる。
第2には,力学がある。物体の運動を力との関係のなかで,定量的に正確にとらえようとするこの学問は,ある形ではアリストテレス以降の伝統のなかにもあった。アリストテレスの自然学からあえて〈物理学的〉な場面だけをひき出して解説すればその大筋はこうである。まず,世界は天体の世界(天上界)と地上の世界(月下界)とに分けられる。天上界は完全であり,変化は許されない。位置変化としては完全な運動である等速円運動のみが許されており,それは完全な天体の本性から必然的に起こるものであって,何らかの力が加えられてやむを得ず動かされることによって起こるものではない。
他方,月下界では,運動は2種類に分けられる。一つは自然運動としての落下運動である。すなわち天体の場合と同様,その物体を構成する要素の本性に従って起こるものであり,天体を構成する完全な原質エーテルに対して,月下界の物質は土,水,空気,火から構成されているため,土,水,空気が共有する宇宙の中心へ向かう本性に従って,火を除くすべての地上的物質は下方に落下することになる。もう一つは,他からの運動力を受けて起こされる強制運動である。物質は一般に静止の状態にあることが常態であり,落下以外は外から力を受けて初めて運動状態となる。そのとき,加えられた運動力に比例する運動の大きさ(速さ)が生ずると考えられた。
力と運動の関係を論ずる力学的発想が,のちに物理学が成立していく過程で,その中心的課題の一つとなるが,そうした意味では,アリストテレスは,P=WV(Wは物体の重さ,Pは加えられた運動力,Vは生じた速さ)という力学法則をもっていたということができる。そして,逆に,この面からみて二つの重大な問題が残されたことが,のちの近代的局面で,力学を物理学の中心にすえる働きをしたと考えられるかもしれない。というのも,P=WVという考え方は,運動力が増せば速さも大きくなるという常識にかなう論点をもつ反面,運動力が加わらないときは速さがない,つまり静止しているという帰結をもち,それは,手から離れたボールやこぎ終わったボートが,直接外から運動力を加えられないにもかかわらずなおしばらくは運動を続けるという経験になじまないからである。一言でいえば,近代にいう慣性的運動の説明が必要になる。これが問題の第1である。第2は,落下運動の増速現象である。落下運動は,上の運動法則の適用外の自然運動ではあるが,しかし落下の原因は,上述のように中心に向かう傾向であって,それは不変のはずである。もし原因が不変であるなら結果としての落下運動も不変でなければならない。では増速はどう説明するか。
こうして,アリストテレス的な力学はその後の歴史のなかに二つの宿題を残したのである。ルネサンス後期から近代初期の自然学者の多くがこの二つの課題に取り組んだが,ケプラー,ガリレイ,デカルト,ニュートンらの仕事がそれに当たる。
→原子論
近代的な状況のなかで現れた重要な論点を列挙しておこう。第1には,天上界と月下界の区別の崩壊である。コペルニクス説から無限宇宙論を発展させたG.ブルーノは,ルネサンス魔術の文脈のなかにいたが,その所説はアリストテレス的コスモス像の破壊への一撃となり,ケプラーは,太陽に〈動かす霊anima motrix〉を想定して,惑星もまた,外からの力によって動かされているという考え方を明確に示した。こうした動きのなかから,天体の運動を論ずることと,地上の運動を論ずることとが,一つの文脈に統一されることになる契機が生まれた。第2に慣性概念の確立がある。すでにケプラーに先駆的にみられる慣性の概念は,当初物質が静止していようとする性質(つまり怠惰な性質)としてとらえられたが,ガリレイ,デカルトからニュートンへの展開のなかで,それは運動状態にもいわれるようになった。運動している物体は,静止に戻ろうとする性質をもつのではなく,その運動状態を続けようとする性質をもつのである。
こうして慣性概念の確立をみたところから,第3の,そしておそらくはもっとも重要な運動法則の定式化が生まれる。ニュートンの手によって行われ,ニュートンの運動の(第2)法則と呼ばれるようになったこの定式化は,周知のようにf=mα(mは物体の質量,fは加えられた力,αは生じた加速度)という形をもち,アリストテレスの強制運動におけるP=WVという形と比較すると,外力が運動(つまり速さ)を生ずるのでなく,運動の変化(つまり加速度)を生ずると考えられている点に最大の新しさがある。この新しいニュートンの運動法則を土台にして,近代物理学のみならず,自然科学全体を律するような自然観が誕生した。それは主として18世紀啓蒙主義時代に成立したが,それは,原子論的論理と力学という二つの発想の融合の結果としてとらえられる。
こうした二つの発想の融合は,今日からみれば結局デカルトのプログラムであったということもできる。デカルトは原子論に対しては否定の態度を崩さず,また,彼自身は自然学こそ神学そのものだと考えていたけれども,さらに彼は運動に関する力学的法則を慣性法則以外には具体的には与えなかったが,神が世界創造に当たって,素材とそれがいかにふるまうかというふるまい方だけを創造したというデカルトの自然観は,素材としての原子と,ふるまい方としてのニュートンの運動法則という形で具体化されることによって,いわば神抜きで実現されるようになった。この実現の過程を担ったのが,18世紀フランスの啓蒙主義者たちであり,〈ラプラスの魔〉によって象徴されるような形で一応の完成をみたのが18世紀末から19世紀初めにかけてであった。
原子論的発想と力学的発想との融合を,しばしば〈機械論的自然観〉と呼ぶが,デカルトが機械論的自然観の出発点と考えられている理由は,上のような事情からである。なお〈機械論的〉という概念には,部品を用意し,それに動力を与えることによって動く機械のアナロジーがこめられているが,英語のmechanisticが含意するように,力学mechanicsの意味も含まれている。この場合,世界は原子という部品が,ニュートンの運動(力学)法則に厳密に正確に従って運動する大機械なのである。
→運動 →機械論 →力
このような機械論的な自然観は,その後の自然科学の中心となるとともに,そうした自然観に基づき,もっとも具体的な形で自然のなかにその正当性をあとづける分野としての物理学という概念が19世紀初めごろからようやくはっきりしてくる。興味深いことに,力学以外の分野でのこの自然観の成功が,物理学の成立にさらに貢献することになった。
電気,磁気,エネルギー現象などに対する関心の発生と,その後の推移がそれを物語る。機械論的自然観が18世紀末に確立されるのと時を同じくして,そこからははみ出るような神秘的な現象が目につき始めた。啓蒙主義の機械論的自然観に反発し,自然の神秘性にあらためて立ち戻ろうとするロマン主義がこうした現象への関心を助長した。またロマン主義が唱える自然の根元的な力,万象を生み出すいきいきとした力への信頼は,電気力と磁気力との間の神秘的な互換性や,熱機関に働く力へと人々の目を向けさせた。つまり電磁気現象や熱現象への関心は,必ずしも機械論的自然観から生まれたものではなく,むしろそれへの反発をてこにしていたといえる。
しかし,やがて19世紀後半になると,ちょうど力学におけるニュートンの運動方程式に匹敵するマクスウェルの方程式が生まれて,電磁気現象が,場という新しい概念は導入したとしても力学的モデルに類似の方法で解決され,熱現象もまた,ボルツマンを頂点とする古典的統計力学によって,一応の解決をみるに及んで,物理学的態度の成功は固まった。そして,われわれは,今日,そうした物理学的な態度の成功した現場を総称して,物理学と呼んでいる。
20世紀に入って,相対性理論と量子力学が生まれて,古典的なニュートンの運動方程式に従う運動力学の枠内に収まらない非常にマクロな運動現象と,非常にミクロな世界での運動現象を扱うことに成功したが,これが,物理学の根本的な変革に当たるのかどうかは見解が分かれる。他方,上に述べた物理学的態度が成功を収める現場は,従来,物理学とは一線を画されてきた化学や生物学にも見いだされてきており,その意味で,すべての自然科学は結局,物理学の出店にすぎないという,しばしば物理帝国主義と呼ばれる暗黙の了解が生まれている。
→エネルギー →磁気 →電気 →熱
執筆者:村上 陽一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…臨床家としては,ラージー(ラゼス),理論家としてはイブン・シーナー(アビセンナ),そして外科ではコルドバのアブー・アルカーシム(アルブカシス)が有名である。アラビア医学
[大学の起源]
眼をまたヨーロッパにもどすと,12世紀ころから,医学史の舞台に,フュシクスphysics,マギストレイン・フュシカmagistrein physica,ドクトル・メディキナエdoctor medicinaeなどと名乗る医師たちが登場してくる。彼らは,学位をもつ医師たちで,このころから,イタリア,フランスをはじめ,ヨーロッパの各地に大学が設立された。…
※「物理学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新