板所村(読み)いたしよむら

日本歴史地名大系 「板所村」の解説

板所村
いたしよむら

[現在地名]根尾村板所

苦野にがの村の北、根尾西谷ねおにしたに川と根尾東谷川の合流点南に位置する。交通の要衝で古くから開けていた。正保郷帳によれば田二三石余・畑一四四石余・紙桑木高一七石余・山年貢一六石余。貞享二年(一六八五)内検で高二五三石余となった(大垣領村々高帳)開拓も行われ、嘉永四年(一八五一)には板所新田の高は二一石余あった(小野島文書)。「大垣藩地方雑記」によれば、明和三年(一七六六)まで当村一柳氏が市場いちば村の政氏とともに根尾筋の大庄屋を務めていた。安政五年(一八五八)の根尾筋村々家数人数差引帳(国島文書)によれば家数三九・人数二四〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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