朝日日本歴史人物事典 「林藤左衛門」の解説
林藤左衛門
生年:元和7(1621)
江戸前期,球磨川舟運の創始者。人吉藩(熊本県)藩士。名は正盛。藤左衛門は通称。日本三急流のひとつに数えられる球磨川には鎌倉期に楫取りがいた記録があるが,全面的通運は林藤左衛門に始まる。人吉城下から八代への通路は照岳越えと球磨川沿道しかなかったが,藤左衛門は41歳の厄落としとして藩主相良頼喬の許可を得て寛文2(1662)年球磨川の開削工事に着手した。石工を雇い川下の神瀬,多武の木から川上にかけての川底の巨岩の除去に苦心した。なかでも大瀬の亀石の除去には稲荷神が方法を教えたという。3年間を費やして同4年に至って人吉城下まで舟路を開いた。8年はじめて江戸参勤に川舟下りが行われた。藤左衛門は問屋川船取締役および船屋の特権を与えられた。<参考文献>武藤厳男『肥後先哲偉蹟』
(松本寿三郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報