枚田弥兵衛(読み)ひらた・やへえ

朝日日本歴史人物事典 「枚田弥兵衛」の解説

枚田弥兵衛

没年:宝暦2.10.16(1752.11.21)
生年元禄4(1691)
江戸中期の但馬国(兵庫県)生野代官所支配村々の一揆の指導者。名は元重とも。加都庄市場村(和田山町)の庄屋。持高50石余。元文3(1738)年12月,生野銀山一揆の影響を受けて,農村部でも租税の引き下げと夫食貸しを要求して蜂起。商人宅打ちこわしののち,生野代官所へ約3000人が強訴。弥兵衛廻状にかかわったことにより壱岐島(長崎県)へ遠島となった。壱岐から但馬の妻や子供達へ送りつづけた書状が十数点残されており,先祖からの田畑・屋敷の相続,帰参の立願などを訴えている。壱岐では子供に手習いを教授し,島民に敬重された。<参考文献>『兵庫県史』4巻

(三宅紹宣)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「枚田弥兵衛」の解説

枚田弥兵衛 ひらた-やへえ

1691-1752 江戸時代中期の農民
元禄(げんろく)4年生まれ。但馬(たじま)朝来郡加都市場(かついちば)村(兵庫県和田山町)の庄屋。元文3年(1738)惣百姓一揆(いっき)を指導し,壱岐(いき)島(長崎県)に流された。在島14年の宝暦2年10月16日死去。62歳。名は元重。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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