柏木忠俊(読み)カシワギ タダトシ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「柏木忠俊」の解説

柏木 忠俊
カシワギ タダトシ


肩書
足柄県令

生年月日
文政7年3月(1824年)

出生地
伊豆韮山(静岡県)

経歴
14歳で伊豆韮山代官江川坦庵(太郎左衛門)の書記となり、公事掛を経て、18歳で代官所手代に抜擢される。弘化3年江川に随行して伊豆七島巡察、嘉永6年にも江戸周辺・防備地を視察した。安政元年長崎に赴き造船・航海術、砲術をオランダ人に学び、翌2年江川の没後その遺志を継いで、その子江川英敏・英武らを補佐して支配地の経営にあたり、慶応2年以降領内各地に農兵小隊を置いた。明治元年韮山県設置により判事、大参事を務め、4年足柄県の参事、権令、県令を歴任。また韮山の生産会社設立にも尽力した。

没年月日
明治11年11月29日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柏木忠俊」の解説

柏木忠俊 かしわぎ-ただとし

1824-1878 幕末-明治時代武士,官僚
文政7年3月生まれ。生地伊豆韮山(静岡県)の代官所手代となり,弘化(こうか)3年(1846)江川太郎左衛門にしたがい伊豆(いず)七島(東京都)を巡察。安政元年長崎でオランダ人から造船,航海術,砲術をまなぶ。太郎左衛門没後,子の江川英敏を補佐。維新後は韮山県大参事,足柄県令を歴任。明治11年11月29日死去。55歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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