日本歴史地名大系 「柳窪村」の解説 柳窪村やなぎくぼむら 東京都:東久留米市柳窪村[現在地名]東久留米市柳窪一―五丁目・下里(しもさと)三―四丁目下里村の南に位置し、西は入間郡大岱(おんた)村(現東村山市)、南は大沼田(おおぬまた)新田(現小平市)、東は柳窪新田。柳久保とも記された。黒目(くろめ)川の源流が当村西方の莢久保(さいかちくぼ)にある。年未詳の村明細帳(村野家文書)は寛文一〇年(一六七〇)に幕府領になったとしており、この頃一村としてのまとまりができたと考えられる。元禄郷帳に村名がみえ、高一九石余。その後開発が進み、宝永六年(一七〇九)田無(たなし)村(現西東京市)の七四石余が当村に付けられ、さらに享保一八年(一七三三)に新開分の見取場が村高に組込まれて(「田無分検地帳」村野家文書など)、高一〇二石余となった(天保郷帳など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by