東久留米市(読み)ヒガシクルメシ

デジタル大辞泉 「東久留米市」の意味・読み・例文・類語

ひがしくるめ‐し【東久留米市】

東久留米

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日本歴史地名大系 「東久留米市」の解説

東久留米市
ひがしくるめし

面積:一二・九二平方キロ

武蔵野台地のほぼ中央に位置し、都心から西に約二四キロ。北は野火止のびどめ用水を挟み清瀬市・埼玉県新座市、東は西東京市、南は小平市、西は東村山市。標高五〇―六〇メートルの台地と四〇―五〇メートルの低地からなり、西端に標高七〇メートルの柳窪やなぎくぼ台地がかかる。黒目くろめ川・落合おちあい川・立野たての川がそれぞれ東流し、地下水も豊富で市内数ヵ所に湧水がある。東から北に西武池袋線が通り、東久留米駅がある。ほぼ中央を南北に小金井街道が貫き、南東から北西に所沢街道、南部を新青梅しんおうめ街道が走る。近世まで多摩郡に属し、市名は黒目川の黒目が転じて久留米となり、市制施行の際、同名の市が福岡県にあるため東を冠した。

〔原始―中世〕

市域を流れる河川の流域に一三八ヵ所の遺跡が確認されているが、その大部分は旧石器時代と縄文時代である。旧石器時代では多聞寺前たもんじまえ遺跡・下里本邑しもさとほんむら遺跡(遺跡公園)自由学園南じゆうがくえんみなみ遺跡・西下里にししもざと遺跡など多くの遺跡が調査され、立川ローム層第X層からIII層にかけて多様な生活跡と石器が確認されている。縄文時代では早期から中期にかけての遺跡が多い。早期撚糸文系土器を伴う河原の生活跡が発見された下里本邑遺跡、早期末葉の定型的集落が確認された向山むこうやま遺跡、前期の石器製作跡の神明山南しんめいやまみなみ遺跡、猪の立体装飾の付いた五領ヶ台式土器が出土した多聞寺前遺跡、武蔵野台地で最大規模の中期拠点集落の一つと推定される自由学園南遺跡、小山台こやまだい遺跡(遺跡公園)六仙ろくせん遺跡・第一小学校だいいちしようがつこう遺跡などの中期集落、中期末葉の柄鏡形住居跡が多数発見された新山しんやま遺跡などが知られている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東久留米市」の意味・わかりやすい解説

東久留米〔市〕
ひがしくるめ

東京都西部,武蔵野台地にある市。小平市および西東京市の北に位置し,北東は埼玉県に接する。 1956年町制,1970年市制施行。黒目 (くろめ) 川にちなみ久留米と称されたが,福岡県に同名の市があることから東久留米とされた。第2次世界大戦頃まではほぼ純農村で畑,マツ林,雑木林が広がっていた。 1960年前後から住宅地の建設が始まり,住宅・都市整備公団 (→都市再生機構 ) ,都営などの各団地や個人住宅が進出して,人口増加が激しく,住宅都市としての性格を強めている。また食品,機械などの工場も立地。西武鉄道池袋線が北東部を,所沢街道が中央部を,新青梅街道が南部を通る。面積 12.88km2。人口 11万5271(2020)。

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