日本の城がわかる事典 「柴崎城」の解説 しばさきじょう【柴崎城】 青森県北津軽郡中泊(なかどまり)町にあった城。中世、津軽一帯の大勢力であった安東氏が居城としていた福島城(五所川原市)の支城と位置づけられている。同城跡とされている場所が龍飛崎(たっぴざき)の南約20km、津軽半島の一部を構成する尾崎半島の北側の小泊(こどまり)地区にある。南方の南部氏は1443年(嘉吉3)、安東氏が拠点としていた十三湊(とさみなと)を攻めた。その際、京都の醍醐寺座主の日記『満済准后日記(まんさいじゅごうにっき)』や松前藩の事績を記した『新羅之記録』によれば、安東氏当主の安東盛季(もりすえ)は籠城・防戦ののち、残兵を率いて福島城を脱して唐川城(同市)に、次いで、この柴崎城に逃れた。しかし、南部氏の攻撃を支えきれず、この地から蝦夷地(北海道)へと脱出した。『新羅之記録』には「柴館」と記されているが、これが柴崎城とされている。城跡は神明宮の境内を中心とした一帯で、神明宮(柴崎神社)には主郭跡とされている細長い平場やそれを取り巻く平場、堀跡、土塁跡が残っている。ただし、これらは神明宮を建立した際に整備されたものという説もあり、この場所が柴崎城(柴館)跡かどうかについては確定されていない。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報