改訂新版 世界大百科事典 「栗作御薗」の意味・わかりやすい解説
栗作御薗 (くりつくりのみその)
中世,天皇に栗を備進した園地で,とくに丹波甘栗御薗,山城田原御栗栖(みくるす)は有名である。蔵人所(くろうどどころ)の所管に属し,御薗には御栗栖司が補任され,備進に従う者を栗供御人といった。毎年旧暦9月には丹波甘栗御薗から四足の桶に入った栗1荷が,五節(ごせち)(旧暦11月)には田原供御所から甘栗30籠がもたらされる例であった。その源流は,令制下の宮内省園池司で樹果の種殖に従った園戸にあると考えられる。彼らは供御を備進する一方で,交通・交易上の特権を保障され自己の商業に従った。1392年(元中9・明徳3)9月,丹波栗作御薗供御人らは,自分らは往古より蔵人所の一円進止(支配)下で供御役を備進し,他より干渉されることはなかったにもかかわらず,先日栗売買のため出京したところ,路次において,山科家の使や御厨子所(みずしどころ)の使など新座の輩が,栗駄別に用途を懸け,腰刀まで奪い取ってしまったので,かかる妨害を停止して欲しい,と訴えている。
→栗栖
執筆者:丹生谷 哲一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報