20世紀日本人名事典 「栗原源蔵」の解説
栗原 源蔵
クリハラ ゲンゾウ
明治〜昭和期の実業家 秋田県建設協会会長。
- 生年
- 明治5年5月25日(1872年)
- 没年
- 昭和30(1955)年4月16日
- 出生地
- 埼玉県入間郡富士見町(現・富士見市)
- 経歴
- 商家に生まれるが、家業の倒産により、小学校を3年で中退。18歳で日本土木の給仕となるが、間もなく中国大陸に渡り、軍夫や鳶職などをしながら各地を転々とした。のち鉄道建設下請業の栗原組を設立し、明治34年奥羽本線敷設工事のため秋田に移住。42年には韓国に移るが、そこで刺傷事件に遭い、退院後に帰国して早川組の顧問を務めた。大正6年秋田に戻り、羽越線や五能線の開通工事を請け負い、巨利を博す。昭和8年には秋田県建設協会の初代会長に就任し、23年まで在職、秋田建築業界の風雲児と呼ばれた。その間、遊園地の建設・運営や私立中学校の創立、電車経営に当たるなど、都市基盤の整備にも尽力。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報