栗塚省吾(読み)クリヅカ ショウゴ

20世紀日本人名事典 「栗塚省吾」の解説

栗塚 省吾
クリヅカ ショウゴ

明治・大正期の裁判官,政治家 衆院議員(政友会)。



生年
嘉永6年11月16日(1853年)

没年
大正9(1920)年11月3日

出身地
福井県南条郡武生町

学歴〔年〕
大学南校

主な受賞名〔年〕
勲三等

経歴
フランス留学後、司法省書記官となり、司法卿秘書官、司法省刑事局長、同民事局長、大審院検事、同部長などを歴任。辞任後弁護士となり、東京の本所区会議員、同議長を務めた。衆院議員当選3回。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「栗塚省吾」の解説

栗塚 省吾
クリズカ ショウゴ


肩書
衆院議員(政友会)

生年月日
嘉永6年11月16日(1853年)

出身地
福井県南条郡武生町

学歴
大学南校卒

経歴
フランス留学後、司法省書記官となり、司法卿秘書官、司法省刑事局長、同民事局長、大審院検事、同部長などを歴任。辞任後弁護士となり、東京の本所区会議員、同議長を務めた。衆院議員当選3回。

受賞
勲三等

没年月日
大正9年11月3日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栗塚省吾」の解説

栗塚省吾 くりづか-せいご

1853-1920 明治-大正時代司法官,政治家。
嘉永(かえい)6年11月16日生まれ。フランス留学後に司法省に勤務し,民事局長,大審院判事などを歴任。のち弁護士となった。明治35年衆議院議員(当選3回,政友会)。大正9年11月3日死去。68歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。大学南校(現東大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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