根田谷地新田村(読み)こんだやちしんでんむら

日本歴史地名大系 「根田谷地新田村」の解説

根田谷地新田村
こんだやちしんでんむら

[現在地名]大雄村田根森たねもり 根田谷地

東は塚堀つかぼり(現横手市)、西は村、南は八柏やがしわ村、北は百万刈ひやくまんがり(現横手市)に接する。

享保一四年(一七二九)の平鹿郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)によれば、享保元年の高辻帳に田村の内根田谷地村と記され、同一四年の郷村高辻帳に根田谷地新田村と記されたとあり、「六郡郡邑記」に天和三年(一六八三)「多賀屋左兵衛忠進開村立」とある。

「雪の出羽路」に、平鹿川の余水を利用し、天和三年から正徳三年(一七一三)までに「百三十八石余りの水田ひらけて民家六十軒余戸の村」となったが、水不足のため一〇〇石余の田地が潰れてしまったとある。「六郡郡邑記」で、本郷枝郷の総戸数は六五軒。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報