桜尾城跡(読み)さくらおじようあと

日本歴史地名大系 「桜尾城跡」の解説

桜尾城跡
さくらおじようあと

[現在地名]廿日市町桜尾本町

廿日市東端に位置する小丘桜尾山にあった中世城跡。桜尾山は単に桜尾ともいわれ、篠尾ささおなどとともに七尾ななおと総称された。「国郡志下調書出帳」に「右高倉院ノ別当斎院ノ次官親能ノ長男周防前司親実、鎌倉右大将頼朝公之時代承久弐年始めて厳島神主之号を給り御当国へ下向、当所桜尾に在城、夫より代々居住ス」とあり、厳島神社神主職藤原氏が代々居城した。年未詳であるが八月二八日付の毛利元就書状(大願寺文書)に「桜尾」の名がみえるが、それより以前の大永三年(一五二三)閏三月二〇日付の陶興房書状(「譜録」所収山中八郎兵衛家文書)に「東山御城被相調候」とあり、東山ひがしやま城ともよばれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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