梶原完(読み)カジハラ ヒロシ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「梶原完」の解説

梶原 完
カジハラ ヒロシ


職業
ピアニスト

肩書
東京芸術大学音楽学部助教授

生年月日
大正13年 11月9日

出生地
中国・上海

出身地
東京都

学歴
東京府立七中〔昭和15年〕卒 東京音楽学校(東京芸術大学)〔昭和19年〕卒

経歴
父が満鉄調査部上海事務所に勤めていたことから上海で生まれる。2人兄弟の弟。昭和4年母、兄と3人で帰国し、誠之小学校、東京府立第七中学に入学。6歳からピアノを田中規矩士、萩原英一、福井直俊に師事した。16年東京音楽学校(東京芸術大学)に入り、19年繰り上げ卒業すると、団伊玖磨芥川也寸志、斉藤高順、萩原哲晶らと陸軍戸山学校軍楽隊入隊。20年同隊最後の卒業生となった。21年日比谷公会堂で初のリサイタルを開催。母校の非常勤講師を務めながらピアニストとして活動し、27年東京芸術大学音楽学部助教授。29年文部省在外研究員としてオーストリア、ドイツへ留学。30年フランクフルトでリサイタルを開き、ヨーロッパでデビュー。33年大学を退官して現地に残り、以来ヨーロッパで活動した。

没年月日
平成1年 7月29日 (1989年)

家族
母=小山 恒子(東京女子専門学校教授)

伝記
孤高のピアニスト梶原完―その閃光と謎の軌跡を追って 久保田 慶一 著(発行元 ショパン ’04発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android