団伊玖磨(読み)ダンイクマ

デジタル大辞泉 「団伊玖磨」の意味・読み・例文・類語

だん‐いくま【団伊玖磨】

[1924~2001]作曲家・指揮者随筆家東京の生まれ。東京音楽学校卒。芸術院会員。団琢磨の孫。山田耕筰諸井三郎らに師事。昭和28年(1953)、芥川也寸志黛敏郎と「三人の会」を結成。創作オペラ夕鶴」「楊貴妃ようきひ」「ひかりごけ」、随筆パイプけむり」など。平成11年(1999)文化功労者

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百科事典マイペディア 「団伊玖磨」の意味・わかりやすい解説

団伊玖磨【だんいくま】

作曲家。東京都生れ。三井財閥団琢磨(たくま)の孫。東京音楽学校(現,東京芸術大学)卒業。1953年に芥川也寸志(やすし)・黛敏郎とともに自作発表のための〈3人の会〉を結成した。交響曲のみならず,オペラ《夕鶴》《ひかりごけ》,ラジオ歌曲《花の街》,童謡《ぞうさん》など幅広い作品がある。20年間の作曲活動により1965年度日本芸術院賞を,《ひかりごけ》で1972年度芸術選奨文部大臣賞を受賞。1973年に日本芸術院会員となり,1999年には文化功労者。《パイプのけむり》などのエッセーでも知られた。1997年からは日本中国文化交流協会会長を務めていたが,2001年に同協会が主催した中国旅行の途中急逝

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「団伊玖磨」の解説

団伊玖磨 だん-いくま

1924-2001 昭和後期-平成時代の作曲家。
大正13年4月7日生まれ。団伊能長男下総皖一(かんいち),橋本国彦,諸井三郎に師事。「挽歌」「交響曲イ調」でみとめられ,昭和27年初演のオペラ「夕鶴」で知られる。翌年芥川也寸志(やすし),黛(まゆずみ)敏郎とともに三人の会を結成。41年芸術院賞,48年芸術院会員。平成9年オペラ「建・TAKERU」を発表,同年日中文化交流協会会長。11年文化功労者。平成13年5月17日死去。77歳。東京出身。東京音楽学校(現東京芸大)卒。随筆に「パイプのけむり」など。

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367日誕生日大事典 「団伊玖磨」の解説

団 伊玖磨 (だん いくま)

生年月日:1924年4月7日
昭和時代;平成時代の作曲家;指揮者。日本中国文化交流協会会長;神奈川芸術文化財団理事長
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の団伊玖磨の言及

【童謡】より

…しかし,子どもの流行歌としての〈レコード童謡〉の量産がその質の低下をもたらし,戦後再び子どもの歌の運動が起きた。〈赤い鳥〉の流れをくむ詩人サトウハチロー(1903‐73)や新進作曲家団伊玖磨(1924‐ ),芥川也寸志(1925‐89),中田喜直(1923‐ )らによるもので,NHKのラジオ番組〈歌のおばさん〉を媒介とし,ここから《めだかの学校》《ぞうさん》など,簡単な旋律でありながら,芸術味のある歌が誕生した。ついで中田喜直,磯部俶(1917‐ )らによる〈ろばの会〉が結成され,彼らは〈レコード童謡〉のイメージから脱皮すべく童謡の名称を用いず,〈こどものうた〉とよんだ。…

【夕鶴】より

…現実の方言をもとにした普遍的方言をせりふ表現として作り出しつつ,正統的戯曲方法によって描いた作者の代表作で,抑圧された女性や勤労者観客の支持を得,史学,民俗学,言語学などの面からも注目された。鶴女房【野村 喬】
[音楽]
 団伊玖磨(1924‐ )のオペラ作品。木下順二の戯曲をほとんどそのまま台本として用い,1950年から51年にかけて作曲され,52年1月30日藤原歌劇団(ソリストは原信子,大谷冽子,木下保,柴田睦陸)によって初演され,以後スイス(1957),西ドイツ(1959),アメリカ(1960)など海外でもとりあげられた。…

※「団伊玖磨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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