朝日日本歴史人物事典 「森岡昌純」の解説
森岡昌純
生年:天保4.12.1(1834.1.10)
明治期の内務官僚,海運経営者。鹿児島藩出身。鹿児島藩士時代,寺田屋騒動(1862)で攘夷派志士を倒して勇名をはせた。明治4(1871)年長崎県大参事,5年飾磨県(兵庫県)参事,7年同権令,9年兵庫県権令,11年同県令。18年4月農商務少輔に転じ,同月共同運輸会社の第2代社長に就任した。同社は政府出資の海運企業で,当時郵便汽船三菱会社と激しい競争を繰り広げていたが,森岡は政府の内諭を受けて収拾に努め,両社を合併させ,同年9月日本郵船会社の初代社長に就任した。独裁的な主導権を発揮して,社内融和の促進,経営組織の整理,財務体質の改善などに取り組む一方,航路の再編,船質改善を実施,海外航路の開拓にも着手した。27年3月,新定款の制定を機に社長を辞任し,取締役に退いた。23年勅選貴族院議員。31年男爵。<参考文献>『近代日本海運生成史料』『日本郵船株式会社百年史』『財界物故傑物伝』
(小風秀雅)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報