森岡昌純(読み)もりおか・まさずみ

朝日日本歴史人物事典 「森岡昌純」の解説

森岡昌純

没年:明治31.3.26(1898)
生年天保4.12.1(1834.1.10)
明治期の内務官僚,海運経営者。鹿児島藩出身。鹿児島藩士時代,寺田屋騒動(1862)で攘夷派志士を倒して勇名をはせた。明治4(1871)年長崎県大参事,5年飾磨県(兵庫県)参事,7年同権令,9年兵庫県権令,11年同県令。18年4月農商務少輔に転じ,同月共同運輸会社の第2代社長に就任した。同社は政府出資の海運企業で,当時郵便汽船三菱会社と激しい競争を繰り広げていたが,森岡は政府の内諭を受けて収拾に努め,両社を合併させ,同年9月日本郵船会社の初代社長に就任した。独裁的な主導権を発揮して,社内融和の促進,経営組織の整理,財務体質の改善などに取り組む一方,航路の再編,船質改善を実施,海外航路の開拓にも着手した。27年3月,新定款の制定を機に社長を辞任し,取締役に退いた。23年勅選貴族院議員。31年男爵。<参考文献>『近代日本海運生成史料』『日本郵船株式会社百年史』『財界物故傑物伝』

(小風秀雅)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「森岡昌純」の解説

森岡 昌純
モリオカ マサズミ


肩書
貴院議員,日本郵船初代社長

生年月日
天保4年12月1日(1833年)

出生地
薩摩国(鹿児島県)

経歴
明治4年長崎県大参事となり、以後飾磨県権令、兵庫県権令、同県令、農商務少輔を歴任三菱会社と共同運輸会社の合併方針が出されると、18年日本郵船会社創立委員長に任命され、創立後は初代社長に就任。沿岸近海航路から遠洋定期航路を可能にする基礎を築いた。23年貴院議員、31年男爵。

没年月日
明治31年3月27日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「森岡昌純」の解説

森岡昌純 もりおか-まさずみ

1834*-1898 明治時代官僚,実業家
天保(てんぽう)4年12月1日生まれ。もと薩摩(さつま)鹿児島藩士。文久2年の寺田屋事件では,鎮圧側の一員。維新後は長崎県大参事,兵庫県令などをへて明治18年共同運輸社長となる。郵便汽船三菱との合併をすすめ,同年日本郵船の創立で初代社長となった。貴族院議員。明治31年3月27日死去。66歳。

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