森新田村
もりしんでんむら
鏑川が南西端で鮎川を合して西境を北流、東は中村など、西は木部村(現高崎市)、北は中島村などと接する。初めは新田村、のち原地新田村に、その後当名に改めたという。村内の柳沢家は中世文書数点を伝えるが、家譜によると主家の芦田氏が改易後阿久津村(現高崎市)に浪人、慶長一四年(一六〇九)新田を開発、翌年に代官伊奈氏の検地を受け五五〇石と取立てられ、森新田と称したという。
森新田村
もりしんでんむら
[現在地名]富士見町田端
富士見町の南部、田端村の南にあり、甲州道中が通じている。親村は田端村。元禄一五年(一七〇二)の信濃国十郡高附帳(「諏訪史蹟要項」境篇)には
<資料は省略されています>
とあり、享保一八年(一七三三)書上の諏方藩一村限村地図(長野県庁蔵)には、元禄一五年と同高で、家数二軒と記されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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