朝日日本歴史人物事典 「森有節」の解説
森有節
生年:文化5(1808)
江戸末期の万古焼の陶工。名は与五左衛門,号は摘山堂。初め伊勢国(三重県)桑名で松本屋という古物商を営んでいたが,古万古の創始者沼波弄山の遠縁に当たる山田彦右衛門から勧められ,古万古発祥の伊勢国朝日の小向で弟与平(千秋,号は陽楓軒)と共に天保2(1831)年万古焼を再興した。有節万古,朝日万古と呼ばれ,古万古と同様に名谷山の白土・赤土を使い,古万古を模作したが,時流に合わせて抹茶器から煎茶器に主流を変え,上絵付も硬彩から軟彩へ変わり,粉彩・十錦手の上絵釉はあでやかで,ことに金を原料とする 腥臙脂釉のピンクの発色は有節万古独特のものである。また急須,土瓶は木型を使った薄作りや蓋・摘みの造作にも新味をこらして人気を博し,作品には「万古」「日本有節」「万古有節」「千秋不易」などの印を用いた。文久2(1862)年苗字袴御免,元治1(1864)年,帯刀御免,慶応3(1867)年には国産陶器職取締役を命ぜられる。
(伊藤嘉章)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報