植付村
うえつけむら
[現在地名]東大阪市西石切町一―七丁目・中石切町一丁目など
北は芝村、西は恩智川を隔てて水走村。東の生駒山地から流出する音川の扇状地端にあり、東部を古代南海道の後身東高野街道が南北に通る。南海道の槻本駅を当地にあてる説がある。元弘二年(一三三二)二月二〇日の藤原康政譲状案(水走文書)に「殖槻観音寺」がみえる。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高三四八石余で、旗本柘植平右衛門領五五石余と大坂町奉行曾我古祐領二九三石余、ほかに山年貢高七石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 