楠美冬次郎(読み)クスミ トウジロウ

20世紀日本人名事典 「楠美冬次郎」の解説

楠美 冬次郎
クスミ トウジロウ

明治期の勧農家



生年
文久3年(1863年)

没年
昭和9(1934)年

出生地
青森県中津軽郡清水村大字富田

経歴
陸奥弘前藩士の家に生まれる。明治13年ごろから青森県中津軽郡でブドウリンゴ栽培を始め、23年“楠美”と名付けたリンゴで第3回内国勧業博覧会の有功2等賞を獲得。また、同年初の品種解説書「苹果要覧」を編集した。33年には津軽産業会を設立。同会員でつくった津軽果樹研究会で研究に打ち込み、特に病害中駆除法で知られたほか、一口かじって品種名を言い当てるほど品種鑑別の技術に長じた。大正13年果樹組合指導員として中国・大連に渡り、没するまで技術の指導に尽くした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「楠美冬次郎」の解説

楠美冬次郎 くすみ-とうじろう

1863-1934 明治-昭和時代前期の果樹園芸家。
文久3年生まれ。楠美恩三郎の兄。陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩(青森県)藩士の子。明治13年青森県中津軽郡でリンゴ栽培を開始。23年最初の品種解説書をあらわす。同年第3回内国勧業博覧会で有功2等賞。品種鑑別の技術にすぐれた。栽培技術指導のため中国大連に移住し,昭和9年同地で死去。72歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む