改訂新版 世界大百科事典 「ブドウ」の意味・わかりやすい解説
ブドウ (葡萄)
grape
grape vine
vine
ブドウ科ブドウ属に属する落葉植物で,果樹としてオレンジ類に次ぐ世界第2位の生産量をあげている。ブドウ属Vitisは暖温帯から温帯にかけて約70種が知られ,その多くのものが果実を食用に利用されている。つる性で巻きひげを他物にまきつけてよじ登る。葉は互生し単葉で,欠刻の有無や程度は多様である。巻きひげは節に葉と対生して生ずるが,各節に連続してつくものと,2節おきに1節つかないものとがある。花は小さくて多数が房になってつき,5~6月に開く。両性花のほか雄花と雌花の区別のあるものや雌雄異株のものもある。花弁は緑色で5個あるが,上部が開かず,開花時には基部が離れて脱落する。両性花は子房上位のめしべと通常5本のおしべをもつ。果実は液果で内部に0~4個の種子を含み,8~10月に熟する。果実は大きさと形,果皮の色が変化に富んでおり,甘みと酸味を有し,食用にされている。
栽培の歴史
野生種の果実が古くから現在まで広く利用されているが,栽培が行われるようになったのは前3000年ころのことである。最初の栽培種はヨーロッパブドウV.vinifera L.(英名common grape,wine grape,European grape)であり,カフカス地方から地中海東部沿岸地方にわたる地域で,セム族あるいはアーリヤ人によって栽培が始められ,ブドウ酒造りも始められたとされ,アーリヤ人はインド方面に,セム族はエジプト方面にそれを伝えたとされる。その後,前1500年ころにはフェニキア人によってギリシアにも栽培と醸造が伝えられ,ブドウ酒はギリシア神話にも縁の深いものとなった。さらにローマ人はギリシアからその栽培と醸造法を学び,西ヨーロッパへも逐次広めていった。東アジアへの伝播(でんぱ)は,漢の武帝の時代に西域に派遣された張騫(ちようけん)あるいはその関係者によるものとされる。北アメリカには多くの野生種があるが,古くは栽培化されず,17世紀の初めころ白人によってヨーロッパブドウが持ち込まれて栽培が始まり,気象条件の好適なカリフォルニア州で盛んになった。東部諸州では気象条件が適さず,病虫害がひどいので,耐病虫性の強いアメリカブドウV.labrusca L.(英名fox grape)の栽培化が起こり,また品質のよいヨーロッパブドウとアメリカブドウの交雑による改良品種も作られるようになった。またアメリカ合衆国東南部の亜熱帯および熱帯地域では,muscadineとよばれるV.rotundifolia Michx.が栽培され改良も行われるようになった。その後アメリカブドウがヨーロッパへ導入されたが,同時にブドウの大害虫フィロキセラ(ブドウネアブラムシ)が持ち込まれ(1860ころ),その被害によって一時はヨーロッパブドウが全滅の危機に瀕した。フィロキセラはブドウの根と葉に寄生して瘤(こぶ)を作り大害を与える昆虫である。しかし,アメリカ原生種の中にフィロキセラに対して強い抵抗性を示す種があり,これらとの交雑によってフィロキセラ抵抗性台木を育成し,この利用によって難を免れた。
日本でのブドウ栽培は1186年(文治2)甲斐国(山梨県)の雨宮勘解由(あめみやかげゆ)によって,中国から渡来した種から生じたと推察される甲州ブドウが見いだされ,栽培に移されたのが最初とされている。その後,栽培は遅々として広まらなかったが,17世紀の初め甲斐徳本(かいのとくほん)によって棚作り栽培が指導されてから著しく発展した。明治に入ってからフランスとアメリカから多くの品種が導入された。そのうちヨーロッパブドウは,果皮がうすく裂果しやすいし病気も出やすいため,夏季に多雨の日本の気候に適さず,温室栽培として2~3の品種が残っただけで大栽培には至らなかった。アメリカブドウとその交雑品種は日本でも栽培が可能で,多くの品種が全国で栽培された。また日本国内でも大正末期より品種の改良が行われて多くの優良品種が生み出され,ブドウは日本でも主要な果樹の一つになった。
品種
世界ではヨーロッパブドウ品種が1万以上あるといわれ圧倒的に多く栽培されているが,日本ではアメリカブドウとの雑種が主体でデラウェア,キャンベル・アーリー,巨峰,マスカット・ベーリーAが代表的である。ヨーロッパブドウはその中でも比較的耐雨性の強い東洋系の甲州,ネオ・マスカットが露地で作られ,マスカット・オブ・アレキサンドリアがガラス室内で作られている。醸造用にはカベルネ・ソービニヨン,セミヨン,リースリングなどを筆頭に世界には数千品種あるが,日本では栽培が少ない。またトムソン・シードレスは種なしで干しブドウの原料として有名だが,日本には適さず栽培されていない(表)。
栽培
苗木は挿木でもできるが,フィロキセラに根を侵されるので,普通は抵抗性台木を使った接木苗を使う。温帯で生育期に降雨の少ない所がよい果実を産する。土壌はとくに選ばないが,排水と保水が共によい礫(れき)を含んだ重い土壌が好適で,火山灰土はあまり適さない。外国では垣根仕立て,棒仕立てが多いが,日本では多雨多湿に順応して棚仕立てとし木を大きく育てる。枝の混みすぎを防ぐため冬季に剪定(せんてい)を行う。芽の数を6~7芽残す長梢剪定と1~2芽で切る短梢剪定とがあり,長梢ではX字型自然形整枝,短梢では一文字型,H字型整枝などが行われる。夏季には棚面の明るさを保ち,果実の品質を向上させるために芽かき,摘心,誘引,摘房,摘粒,笠かけまたは袋かけなどを行う。デラウェアではジベレリン処理による種なし果実の生産が一般化している。開花2週間前に花穂をジベレリン100ppmの水溶液に浸漬(しんせき)して種なしにし,さらに開花後2週間でもう1度処理して果実の肥大を促進させる。地力維持には有機質の肥料を多く用いる。肥料成分としては窒素,リン酸,カリのほか石灰とマグネシウムが重要である。病気は黒痘病,べと病,晩腐病,うどんこ病などがあり,防除には休眠期にPCP加用石灰硫黄合剤,生育期に有機硫黄剤,ボルドー液などを用いる。害虫にブドウトラカミキリ,スリップス,フタテンヒメヨコバイなどがあり,低毒性有機リン剤などで防除する。露地栽培とガラス室栽培のほか,近年ビニルハウスによる促成栽培が盛んになり,4月から生果の出荷が始まる。
世界での生産は年間約5600万t(1994)で,果実中第2位である。主要生産国はイタリア,フランス,スペインの南ヨーロッパ3国で世界の約35%を占め,そのほかアメリカ,トルコ,アルゼンチンが多い。日本ではミカン,リンゴ,ナシ,カキに次いで第5位を占め,山梨,長野,山形,岡山,福岡で多く生産している。
利用
世界では全体の約12%(1980)が生食用,約80%が醸造用,残りが干しブドウ,ジュース,ジャム,ゼリーなどの加工に用いられる。日本では約85%が生食用,約8%が醸造用,残りがジュース,瓶・缶詰,ジャムなどの加工用である。ギリシアやインドではブドウの若芽を野菜として利用することがある。
→ブドウ酒
執筆者:雨宮 毅
象徴
ブドウは最も古い栽培植物の一つで,《創世記》9章20節にも,ノアが箱舟を出てブドウ畑を作り始めたとある。それは一般に生命と豊饒(ほうじよう),歓楽と祝祭を象徴する。また聖書では,ブドウは神の慈悲の象徴と考えられ,モーセはイスラエル人に対して,摘み残したり地上に落としたブドウの実は放置して貧者に与えよ,と命じている(《レビ記》19:10)。古代エジプトではオシリス,ギリシアではディオニュソス=バッコスにささげられた植物で,これらの豊饒神がオリエント,エジプト,さらにヨーロッパへブドウの栽培を広めてまわったとする伝説も多い。彼らを祭る神殿はブドウづるで飾られ,聖所に不可欠な装飾となった。また,ブドウ酒の酔いが人々に苦痛を忘れさせたため,ブドウづるの茂る場所が〈逃避の場〉を意味するようになり,古代ローマではイチジクとともに〈家庭の慰安〉を表現する植物となった。
一方,キリスト教にあっては,聖餐(せいさん)に用いられるブドウ酒がキリストの血を象徴する。また《ヨハネの黙示録》16章19節ほかにある語句〈怒りのブドウ〉は神の怒りと復讐(ふくしゆう)を表し,大地主の搾取に移住労働者の怒りが高まっていく過程を描いたスタインベックの小説のタイトルにもなった。またアウグスティヌスはブドウ搾り機wine-press(神の怒りや殺戮(さつりく)の象徴)にかけられたブドウの房をイエス・キリストの受難の姿とみなし,これを象徴的図像表現に定着させた。なお,《民数記》13章23節には,モーセが男たちに命じてカナンの地を見にいかせた際,二人がザクロ,イチジクとともにブドウを一房棒にかけて持ち帰った話があり,転じて〈約束の土地〉の象徴ともなった。このためフランスの教会堂のステンド・グラスには,ブドウを運ぶ二人の男の図柄が盛んに用いられ,やがて棒にかけられたブドウの図は,キリスト磔刑(たつけい)の寓意にもされた。そのほか,小羊とブドウの房を組み合わせた図柄は〈犠牲〉,ブドウの房から麦の穂が突きだした図柄は〈聖体拝受〉を表す。聖書に題材を取る宗教美術においては,イブの陰部をおおうのにこの葉を描くのがふつうで,アダムのイチジクの葉と対をなす。また17世紀のオランダの静物画では,ブドウを秋の寓意とした。花言葉は〈慈悲〉と〈歓楽〉。
執筆者:荒俣 宏
文様
ブドウはザクロと並んで豊穣のシンボルとされ,ギリシアのディオニュソス信仰とも関連して,古くから聖なる果実として尊ばれた。そのことから葡萄文は瑞果(ずいか)文として使われている例が多い。イラン系の美術でブドウが動物や女神とともに描かれているときは,単なる装飾文様ではなく,聖なる意味をもつと考えてよい。またローマ時代の廟堂(びようどう)のモザイクに葡萄樹がしばしば描かれるが,このような葡萄樹は宗教的な色彩をもち〈楽園〉を表しているとされる。またブドウは唐草文様のモティーフに好んで使われている。つるが唐草の主軸となり,左右に房と葉とを配した形が葡萄唐草の基本で,地域や時代によってさまざまな変化をみせる。西アジアでは,パルミュラのベール神殿浮彫のように完熟した房が描かれているものや,ササン朝の銀壺にみられるように茎のカーブの大きさに比べて茎や房が小さいものなどがある。またベグラーム出土の象牙浮彫ではブドウの房を縦横の線だけで表現している。シルクロードの遺跡から発見された染織品には葡萄唐草による円を織りなしたものも多い。中国では鏡の背面装飾に用いられる葡萄唐草が注目される。海獣葡萄鏡がその中心で,隋・唐代のこの鏡のデザインは,正倉院にも伝わっている。仏教美術でも葡萄唐草は盛んに使われるが,日本のものでは薬師寺薬師如来像(白鳳時代)台座にあるものが美しい。ブドウはまた桃山から江戸時代初期の工芸ではリスと組み合わされて,しばしば描かれた。古伊万里の染付大皿や漆芸品にもおもしろく仕立てられている。
執筆者:長田 玲子
医術
ブドウは現存する中国最古の本草書《神農本草》の365種類の薬剤の中に挙げられ,659年に著された《図経》には漢の武帝の命令で西域に派遣された張騫(ちようけん)がもたらしたと記されている。また5~6世紀の陶弘景は,魏国の使者が多くもたらしたこと,甘美で酒につくるとことに美味であり,北国の人がよく肥え健康で耐寒力があるのは,ブドウのせいであろうといっている。当時は隴西(ろうせい),五原,敦煌(とんこう)の山谷で採れたという。薬効は筋骨をじょうぶにし気を益し,力を倍増し志を強め,湿痺を除き,肥(ふと)らせ,健やかになり,飢えや風寒に耐え,長く続けて摂取すると身を軽くし,歳をとらず,長生きするとされる。酒に造ると小便を利するとされていた。ただし孟詵は多食をいましめている。現代中国では新疆などに産し,気血の虚弱や肺が弱くて咳が出るもの,寝汗や浮腫,リウマチ,淋病などの薬とされ,根や茎や葉もまた煎じて薬用にあてている。日本でも《和名類聚抄》や《伊呂波字類抄》《医心方》などに紫葛,蒲萄,和名エヒカツラ,エヒカツラノミとして記載されている。
執筆者:槙 佐知子
ブドウ科Vitaceae
双子葉植物で,約12属700種があり,ヤブカラシ,ノブドウなどを含む。多くはつる性の木本で,まれに草本性のつる草や直立する種もある。熱帯から亜熱帯に常緑性の種が多く,温帯には落葉性の種が分布する。葉は互生し,単葉でいろいろな程度に分裂するものから,掌状または大きい羽状複葉になるものまである。つる性のものには巻きひげがあるが,この巻きひげは主軸の先端が変わったもので,その腋(えき)から伸びる枝が次の主軸になって伸びる(仮軸分枝)特性がある。ツタのように,巻きひげの先に吸盤をもつものもある。花は5数性で小さく,両性花と雄花とがある。花冠は5弁あって,先が互いにくっつき,開花のとき,基部で離れて帽子をぬぐように脱落する特性がある。おしべは5本あって,花弁と対生する位置につく,雌花ではおしべは退化している。花序は円錐花序または集散花序を作るが,この花序は枝の先端にできるため,巻きひげと同じように葉と対生する位置についている。果実は液果で,ブドウのように食用および酒を造るのに用いられるものがある。また観葉植物として栽培されるものもある。クロウメモドキ科と類縁があり,クロウメモドキ目にまとめられている。
執筆者:村田 源
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