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楠音次郎 くすのき おとじろう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

楠音次郎 くすのき-おとじろう

1826-1864 幕末の尊攘(そんじょう)運動家。
文政9年生まれ。尾張(おわり)名古屋藩を脱藩し,各地を流浪。文久3年上総(かずさ)(千葉県)山辺郡小関村で真忠組を組織。鎖港攘夷をとなえ,貧民救済,借金裁判などの世直し運動を展開。文久4年1月17日幕府の命をうけた福島藩兵らにおそわれ戦死した。39歳。三河(愛知県)出身。名は正光。別名に黒部民部,樋山民部。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

楠音次郎

没年:元治1.1.17(1864.2.24)
生年:文政9(1826)
幕末の尊攘派志士。真忠組首領。名は正光,別名黒部民之輔,樋山民部。音次郎は通称。熊本藩を脱藩した楠主馬正之の子。尾張藩領三河国額田郡滝村(愛知県岡崎市)に生まれる。尾張藩に仕え,のち脱藩して各地を流浪。嘉永6(1853)年,下野国那須野ケ原向田村(栃木県那須郡)の名望家樋山家に養子入りし,烏山藩に仕えた。尊王攘夷を唱えて同藩を追われ,中川良助と変名して江戸に隠れたのち,上総国に移って寺子屋を開く。真忠組隊長となり文久3(1863)年11月,山辺郡小関村で挙兵。茂原,八日市場などにも拠点を置いて攘夷と貧民救済を旗印に活動するが,翌元治1(1864)年1月17日,福島藩兵らに襲われて討死した。<参考文献>『東金市史』

(高木俊輔)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の楠音次郎の言及

【真忠組】より

…江戸末期の世直し的な動きの中で1863年(文久3)11月に千葉県九十九里地方で挙兵した隊。元尾張藩士楠音次郎と元旗本家来三浦帯刀を隊長としたが,200人近い隊員のほとんどはこの地方の貧農・小作・水主(かこ)層出身であった。攘夷実行と貧民の解放とをかかげ,網主や村役人層に金穀・槍刀などを拠出させて貧民に分配するなどの動きをするが,幕府の動員した関八州農兵や諸藩兵に攻撃され,64年(元治1)1月17日に壊滅した。…

※「楠音次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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