朝日日本歴史人物事典 「楠音次郎」の解説
楠音次郎
生年:文政9(1826)
幕末の尊攘派志士。真忠組首領。名は正光,別名黒部民之輔,樋山民部。音次郎は通称。熊本藩を脱藩した楠主馬正之の子。尾張藩領三河国額田郡滝村(愛知県岡崎市)に生まれる。尾張藩に仕え,のち脱藩して各地を流浪。嘉永6(1853)年,下野国那須野ケ原向田村(栃木県那須郡)の名望家樋山家に養子入りし,烏山藩に仕えた。尊王攘夷を唱えて同藩を追われ,中川良助と変名して江戸に隠れたのち,上総国に移って寺子屋を開く。真忠組隊長となり文久3(1863)年11月,山辺郡小関村で挙兵。茂原,八日市場などにも拠点を置いて攘夷と貧民救済を旗印に活動するが,翌元治1(1864)年1月17日,福島藩兵らに襲われて討死した。<参考文献>『東金市史』
(高木俊輔)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報