楡原保(読み)にれはらほ

日本歴史地名大系 「楡原保」の解説

楡原保
にれはらほ

婦負郡に置かれた保で、元来は国衙領であった。現在の細入ほそいり村楡原を遺称地とし、細入谷と井田いだ川上流部に及ぶ広い庄域を想定できるがつまびらかではない。「三州地理志稿」では楡原郷として一四七村(現在の細入村・八尾町・婦中町にわたる)を数え、婦負郡の約四割強にあたる。正平五年(一三五〇)三月二七日の後村上天皇綸旨(遺編類纂所収渡辺家文書)に「楡原保」とみえ、同所地頭職が勲功の賞として渡辺党の滝口中務少輔に給されている。「渡辺系図」では中務少輔は渡辺等とされる。貞治五年(一三六六)一二月二二日の足利義詮袖判下文(慶応大学図書館所蔵文書)にいう野積のづみ(現八尾町)に相当すると思われる野積谷の渡辺氏はその一族末裔とみられる。当保の開発領主職は南北朝前期までは国衙在庁官人の系譜を引く小井出一族や甕氏の手にあり、ことに猪谷いのたに(現細入村)は甕庶子分を継いだ窪寺信濃小次郎、菅寺かんでら(現同上)は甕十郎が支配していた。しかし観応の擾乱前後に反足利尊氏行動を展開した越中守護桃井直常にくみしたため、桃井氏が守護職を罷免・追討されるに伴い甕氏らの所領も没収され、文和年中(一三五二―五六)将軍家下文により勲功の賞として斎藤常喜に給されていたという(年月日未詳「斎藤国則訴状案」仁和寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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