日本歴史地名大系 「猪谷村」の解説 猪谷村いのたにむら 富山県:東礪波郡上平村猪谷村[現在地名]上平村猪谷小原(おはら)村の東、右岸の北向き斜面に位置する。庄川に近い下村と一段上って上村があり、上村は垣内(枝村)の高草嶺(たかそうれい)(三州志)。東は湯谷(ゆだに)川を境界にして田向(たむかい)村(現平村)領の山、南は山が高くなって人形(にんぎよう)山になる。西は籠渡しが皆葎(かいむくら)村へ架かる。籠綱の総長四三間、うち九間は両詰巻留間数、三四間は籠通用間数。藤切人足・籠綱打立引渡人足は一〇〇人ほど、うち四〇人ほどは当村、六〇人ほどは皆葎村(五ヶ山籠渡覚「十村宅左衛門覚書」寿川区有文書)。ほかに上梨(かみなし)村(現平村)・皆葎村から当村側の作所へ通籠(綱長三八間・籠通用間数二八間)があった(同覚)。 猪谷村いのたにむら 富山県:婦負郡細入村猪谷村[現在地名]細入村猪谷片掛(かたかけ)村の南、神通川左岸の狭い河岸段丘に立地し、南北に飛騨街道が通る。北に猪谷川がほぼ東流し、南西部には大高(おおたか)山(一一〇〇・三メートル)がそびえる。対岸は舟渡(ふなと)村・猪谷村(現大沢野町)。北部を流れる猪谷川に常虹(とこにじ)の滝があり、同川にほぼ並行する里道を西手に西新(にししん)山(一一一〇・三メートル)を見ながら進むと大亦(おおまた)峠に至り、久婦須(くぶす)川流域の桐谷(きりたに)村(現八尾町)に通じる。西新山は古くは細辛山と記された。 猪谷村いのたにむら 富山県:上新川郡大沢野町猪谷村[現在地名]大沢野町猪谷神通川の東岸で、宮(みや)川・高原(たかはら)川が神通川に合流する地点の北部に位置する。北は舟渡(ふなと)村、南は飛騨国境。地名の由来は猪ン谷などの河川名もあり、イノシシが多かったため地名となったという。正保郷帳に猪ノ谷村とあり、高一〇四石余、田方九反余・畑方六町余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高二一八石、免一ツ五歩、小物成は春秋夫銀四五匁八分・山役二二二匁・牛役四一匁・鱒役一匁・鮎川役二匁(三箇国高物成帳)。元禄七年(一六九四)一〇二石が引高となり、享保八年(一七二三)・延享元年(一七四四)・天保九年(一八三八)の手上により、天保一一年の草高一二三石(「高免帳」杉木家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by