楡生山古墳(読み)にりようやまこふん

日本歴史地名大系 「楡生山古墳」の解説

楡生山古墳
にりようやまこふん

[現在地名]吉富町楡生

佐井さい川の東岸、標高一九メートルの独立丘陵上に立地する。昭和二年(一九二七)主体部の竪穴式石室が発掘された際の報告によると、墳丘は直径一九メートル、高さ三・六メートルほどの円墳と考えられ、石室側壁は川原石を積み、蓋石は安山岩の扁平石六枚を使用し、内部の全面には朱が塗られていた。平面形は長方形プランで、長さ二・四メートル、幅〇・六三メートル。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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