日本歴史地名大系 「極性寺」の解説 極性寺ごくしようじ 富山県:富山市富山城下手伝町・古手伝町極性寺[現在地名]富山市安田町館定山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。越中三坊主の一で、「遺徳法輪集」に「昔ヨリ越中ニハ三坊主トテアリ聖人御直弟ナリ、願海寺、持専寺、極性寺是ナリ」とある。往古、新川(にいかわ)郡下条(げじよう)郷水橋館(みずはしたち)に寺基を構え、正中元年(一三二四)滑川(なめりかわ)、延文元年(一三五六)新川郡市江(いちえ)、さらに応永元年(一三九四)宮河(みやかわ)庄友杉(ともすぎ)、永正元年(一五〇四)布目(ぬのめ)、天文三年(一五三四)婦負(ねい)郡打出(うちいで)町に寺基を移したという(極性寺暦代略記)。本願寺三代覚如長子の存覚が記した「存覚上人袖日記」延文五年(一三六〇)閏四月日条に越中国水橋門徒の本尊に裏書等を記したとあり、当寺と水橋門徒との関係が推測される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by