楽人町(読み)がくにんちよう

日本歴史地名大系 「楽人町」の解説

楽人町
がくにんちよう

[現在地名]天王寺区伶人

四天王寺の西側に位置し、宝暦二年(一七五二)の天王寺管内地図によれば勝鬘しようまん院の南からおう坂に出る道で、「大阪市史」付録の天保一四年(一八四三)の大坂図(考証地図)では東に西小儀にしおぎ町、南に中小路なかしようじ町などの名が新たにみえる。「宝暦町鑑」には天王寺村町名寄のうち四天王寺領分に当町の名がみえるが、法制上認められた町名ではなく天王寺村内の私称的なものであったと思われる。この付近に四天王寺の舞楽を奉仕する楽人(伶人)が居住していたといわれ、「摂津名所図会大成」には「伶倫第宅れいりんのやしき」として「勝曼坂の南ニあり、楽人町といふ、天王寺の楽人あまたこゝに住す」とみえる。

四天王寺舞楽については「日本後紀」延暦二三年(八〇四)一〇月四日条に、桓武天皇が和泉国へ遊猟に行く途次、舟中において「四天王寺奏楽」のことがあったと記すのが早いものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む