榎木村(読み)えのきむら

日本歴史地名大系 「榎木村」の解説

榎木村
えのきむら

[現在地名]余目町榎木

町(まち)村の北にあり、南西は跡(あと)村。北を最上川が東から西へ流れる。初め榎木興野(えのきこうや)、榎興屋(えのきこうや)(野)といい、のち榎木村と改めたという。最上川の洪水により、延宝元年(一六七三)・元禄七年(一六九四)・宝暦一一年(一七六一)・明和四年(一七六七)・安永九年(一七八〇)にしだいに南へ村を移転し、現在にいたると伝えられる(余目町史)。慶安二年(一六四九)の遠田肥前覚書(大泉紀年)に天正(一五七三―九二)末期のこととして、砂越(さごし)(現飽海郡平田町)より小形主殿が川南へ欠落し、砂越向いにあたる当地に家を造り、榎(木)興野と称したとあり、この頃村立てがあったのであろう。


榎木村
えのきむら

[現在地名]長浜市榎木町

加納(かのう)村の北にあり、北は今(いま)村。石山合戦において元亀二年(一五七一)五月「榎ノ乗願寺千五百人」が鎌刃(かまは)城(現坂田郡米原町)へ攻め寄せている(浅井三代記)。天正一三年(一五八五)閏八月二一日の山内一豊知行目録(山内文書)に「ゑの木」とあり、高一千一〇〇石。寛永石高帳に高一千二四六石余とあり、彦根藩領。寛文四年(一六六四)の彦根領分高帳(間塚文書)によると定免で四ツ八分。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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