日本歴史地名大系 「榎沢村」の解説 榎沢村えのきさわむら 千葉県:夷隅郡岬町榎沢村[現在地名]岬町榎沢岩熊(いわくま)村の東に位置する。中世は伊南(いなん)庄に含まれ、同庄榎沢郷の遺称地。東部の夷隅川沿いに大川端(おおかわばた)・瀬之上(せのうえ)・轟(とどろき)・蟹田(かにた)などの地名がある。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高六七二石。正保国絵図では高六七〇石。元禄郷帳では高七四七石余で、幕末まで同高。享保四年(一七一九)には旗本岡部領で(石野家文書)、幕末に至る(旧高旧領取調帳)。元禄一〇年(一六九七)には田六六町九反余のうち下田五〇町九反余、畑五三町四反余のうち下畑四四町二反余、年貢は米二二五石余・永四八貫一四四文(高地家文書)。同一一年の村明細帳(同文書)によれば年貢米の津出しは八幡(やわた)浦(現市原市)まで、溜堰は金糞(かなくそ)谷・馬不入(うまいらず)谷など一〇ヵ所、農間に干鰯筵を作っていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by