樋口謙之亮(読み)ひぐち・けんのすけ

朝日日本歴史人物事典 「樋口謙之亮」の解説

樋口謙之亮

没年:慶応2.3.13(1866.4.27)
生年:文政8.5.7(1825.6.22)
幕末対馬藩士。名は致一。天保14(1843)年出仕。藩政批判によりしばらく謫居させられていたが,万延1(1860)年10月同志と脱走して世子決定,藩政刷新を訴える。文久2(1862)年8月の江戸詰家老佐須伊織打倒のクーデタに加わったのち,大島友之允らと共に長州(萩)藩など尊王攘夷勢力と連携しつつ,幕府に対する対馬藩援助要求運動に尽力し,翌年には周旋掛,京都留守居となる。元治1(1864)年10月の国許での勝井騒動では難を逃れ,慶応1(1865)年5月同志と共に勝井五八郎を討ったが,翌年3月13日夜に対馬府中で歩行中暗殺された。<参考文献>賀島砥川『対馬志士』,川本達『対馬遺事』

(木村直也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「樋口謙之亮」の解説

樋口謙之亮 ひぐち-けんのすけ

1825-1866 幕末の武士
文政8年5月7日生まれ。対馬(つしま)(長崎県)府中藩士。万延元年脱藩,文久2年江戸家老佐須伊織を同志と殺害。長州との同盟に尽力し,3年京都留守居役となる。慶応元年攘夷(じょうい)派を弾圧した勝井五八郎を同志とともに討ったが,2年3月13日暗殺された。42歳。名は致一。

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367日誕生日大事典 「樋口謙之亮」の解説

樋口謙之亮 (ひぐちけんのすけ)

生年月日:1825年5月7日
江戸時代末期の対馬藩士
1866年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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