権田村(読み)ごんだむら

日本歴史地名大系 「権田村」の解説

権田村
ごんだむら

[現在地名]倉淵村権田

榛名はるな山西麓に位置する。群馬郡に属し、西はからす川を隔てて碓氷うすい川浦かわうら村・同郡岩氷いわこおり村、南は三野倉さんのくら村、東は杖の神つえのかみ峠、すももが岳(一二九二・三メートル)。烏川沿いに大戸おおど(信州道)が通る。街道筋の三野倉、大戸(現吾妻郡吾妻町)両宿に挟まれ、街道沿いに長井ながい・権田の集落が発達している。長井大戸宿に向かう萩生はぎゆう峠の途中の中継場として、近世中頃より問屋や茶屋ができた(倉淵村誌)永禄一〇年(一五六七)四月一六日付武田信玄書状写(「新編会津風土記」所収)によれば「権田」が浦野宮内左衛門・能化丸に与えられており、天正七年(一五七九)にも同氏領(同年三月一八日「武田勝頼定書写」同書所収)。永禄―天正の武田氏の上州攻略の際には当地一帯も戦火にみまわれている(年不詳五月八日「武田信玄書状」大竹源三氏所蔵文書)

寛文郷帳では幕府領、田方一〇五石余・畑方一二四石余。延宝八年(一六八〇)の権田村百姓持山改帳(倉淵村役場蔵)によれば、所有面積一一二町余、所有者は一三六戸で、百姓持山の所有状況は一反歩以下一七、一―五反四八、五―一〇反三〇、一〇―二〇反八、二〇―三〇反九、三〇―四〇反一、四〇反以上二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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