国指定史跡ガイド 「横大道製鉄遺跡」の解説
よこだいどうせいてついせき【横大道製鉄遺跡】
福島県南相馬市小高区飯崎にある製鉄遺跡。太平洋岸から7km内陸に入った標高50mの丘陵上に立地し、南北240m、東西60mの細長い舌状丘陵のほぼ全体に広がる。2007年(平成19)~2009年(平成21)の発掘調査で木炭窯、製鉄炉、廃滓場(はいさいば)が良好な遺存状況で確認され、遺跡の範囲と内容を確認するための発掘調査も行われた。製鉄炉をともなう環状遺構、単独の製鉄炉、廃滓場といった製鉄関連遺構は丘陵北側の先端部に集中するのに対し、製炭を行った木炭窯は丘陵中央部や南部に31基が集中することから、作業ごとの区域分けがあったと考えられている。環状遺構とは、丘陵の平坦な部分を直径10.8m、深さ1.2mほど掘り、その掘削土を直径20mの環状に盛り上げた遺構である。そして、その内部に複数の竪形(たてがた)製鉄炉が造られ、これを造り替えて継続的に製鉄を行っていたと考えられる。このほか9世紀前半から中ごろの踏み鞴(ふいご)のある長さ約180cm、幅約50cmの長方形箱形炉も含めて、製鉄炉が10基確認され、炉の周辺からは純度の高い鉄の塊も見つかった。廃滓場は4ヵ所確認され、68トンにものぼる鉄滓をはじめ箱形炉の鞴の羽口(はぐち)や炉壁も多数出土し、9世紀前半から中ごろの製鉄に関連した廃滓場とみられている。福島県域の海岸一帯は浜砂鉄(はまさてつ)が豊富で、古代の宇多(うだ)郡と行方(なめかた)郡は製鉄が盛んな地域であった。砂鉄を集めて原料とし、木炭を燃料にして鉄を生産したのだが、この遺跡がある行方郡域では、まず7世紀後半に、海岸に近接した金沢(かねざわ)地区で製鉄遺跡が出現する。8世紀後半になると横大道製鉄遺跡のように内陸部に移り、10世紀前半になると製鉄遺跡は見られなくなる。横大道製鉄遺跡は8世紀後半から9世紀中ごろの製鉄炉・廃滓場・木炭窯がそろってよく保存され、その規模や遺構の数量においては東北地域屈指の大規模な製鉄遺跡である。律令国家による東北経営が活発になり、武器・武具など鉄製品の量産要求が急増した時期であることから、当時の政治的・社会的状況を知るうえで重要な遺跡である。2011年(平成23)に国の史跡に指定された。JR常磐線小高(おだか)駅から徒歩約31分。