出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
7世紀後半から9世紀頃までの古代国家。基本法典の律令の名をとった呼称。天皇を中心とした体系的な中央集権的国家機構で,中央に都城が営まれ,議政官を核とした太政官を頂点に二官八省の官僚機構を設け,地方は国郡里(郷)の行政組織に編成。国司には中央官人が任命され,地方豪族を郡司以下に組織した。戸籍計帳を作って班田収授を行い,租庸調や雑徭(ぞうよう)を徴収して全国の民衆を支配した。良民と賤民とに身分が区別され,支配者層はさらに位階により区分された。とくに五位以上はさまざまな特権をもち,畿内の有力氏族出身者が独占した。律令国家は,10世紀頃に班田収授の法などの破綻により崩壊したと一般には考えられるが,大王のもとに畿内豪族が結集して畿外を支配するという大和王権のあり方をうけついでおり,10世紀はそうした古い枠組が崩壊しただけで,中国的な律令の理念はその後の国家のなかで展開したと考えることもできる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…その形成の過程で,朝鮮半島の高句麗,新羅,百済の3国が戦乱にまきこまれ,最後は日本も百済に出兵するなど軍事的な影響が朝鮮3国と日本におよび,程度の差はあれ国際的緊張がたかまった。この国際的緊張に対応すべく,日本でも権力の集中がはかられ,中国や朝鮮諸国に似せて律令国家が形成されるようになった。702年(大宝2)の大宝律令の実施は,このような律令法継受の一つの決着を示している。…
…7世紀の後半,近江令(存在を否定する説もある),飛鳥浄御原令の編纂を通じて基礎が固められ,701年(大宝1)の大宝律令の制定・施行によってほぼその完成をみた。以後この体制が大きく変質する10世紀ごろまでの間を特に律令制の時代または律令時代と称し,この時期の国家を律令国家と呼んで前後の時代とは区別している。以下その諸方面にわたる制度のおもなものについて概観する。…
※「律令国家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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