朝日日本歴史人物事典 「横山安武」の解説
横山安武
生年:天保14.1.1(1843.1.30)
幕末維新期の儒学者,森有礼の兄。通称正太郎。薩摩(鹿児島)藩士森有恕の4男に生まれ,15歳で藩儒横山安容の後嗣となる。小姓としてそば近く藩主に仕え,次いで島津久光の5子悦之助の守役となる。明治1(1868)年5月,悦之助に従い佐賀,山口へ遊学。同3年2月,長州藩諸隊脱隊兵による反乱事件を報告するため無断で帰藩し,守役を免ぜられる。同5月上京して陽明学を講究,その実践的精神に深い感銘を受け,時の政府弾劾を決意する。6月東京に赴き,7月26日夜,時弊10条並びに征韓の非を論じた建白書を竹頭に挟んで集議院の門扉に掲げ,その場で割腹して果てた。年28。西郷隆盛はその死を惜しみ,自ら筆をとって碑文を書いた。<参考文献>河野辰三『横山安武伝記並遺稿』
(犬塚孝明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報