横川町(読み)よこがわちよう

日本歴史地名大系 「横川町」の解説

横川町
よこがわちよう

面積:七〇・四五平方キロ

姶良郡の北部に位置する。東は牧園まきぞの町、南は隼人はやと町と溝辺みぞべ町、西は姶良町と薩摩郡薩摩町、北は栗野くりの町に接し、近世までは桑原くわはら郡に属していた。周囲を安良やすら(六〇四メートル)国見くにみ(六四八・六メートル)烏帽子えぼし(七〇二・九メートル)などの山々が囲む。その間を金山きんざん(天降川上流部)馬渡まわたり川・久留味くるみ川が東流、久留味川の流路は溝辺町との境界をなす。畑の散在するシラス台地に刻まれた浸食谷に水田や集落が発達、東方の霧島山系の影響を受けて気象の変化が激しい。JR肥薩線が町の東部を走り、植村うえむら・大隅横川の両駅がある。


横川町
よこかわまち

[現在地名]河北町福地

釜谷浜かまやはま大森おおもり辻堂つじどうへ至る道、追波おつぱ川を渡り相野谷あいのや飯野川いいのがわを経て登米とめ郡方面や十五浜じゆうごはま方面への道、針岡はりおか村への道などが通る交通の要地。船着場として繁栄し、福地ふくじ村の中心地であった。慶長五年(一六〇〇)の葛西大崎船止日記(伊達家文書)の葛西中に「よこ川の内 舟十仁そう」とある。同六年の伊達政宗廻船申付黒印状(同文書)によれば、桃生のうち十五浜と当地の船二五艘が、高清水たかしみず(現栗原郡高清水町)の米四三二石四斗を気仙沼けせんぬまへ運送するのに使用されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android