橋本夢道(読み)ハシモト ムドウ

20世紀日本人名事典 「橋本夢道」の解説

橋本 夢道
ハシモト ムドウ

昭和期の俳人



生年
明治36(1903)年4月11日

没年
昭和49(1974)年10月9日

出生地
徳島県板野郡北方藍園村

本名
橋本 淳一

学歴〔年〕
高小卒

主な受賞名〔年〕
多喜二百合子賞(第7回)〔昭和50年〕「無類の妻」

経歴
大正7年上京し肥料問屋などにつとめ、のち銀座の月ケ瀬創業に参加。昭和38年に“あんみつ”を考案。一方、荻原井泉水師事、5年プロレタリア俳句運動をおこし「旗」を創刊。16年俳句事件で検挙され、18年まで投獄される。戦後新俳句人連盟に参加。現代俳句協会顧問を務めた。句集に「無礼なる妻」「良妻愚母」「無類の妻」などがある。没後に「橋本夢道全句集」が刊行された。平成6年没後20年を記念した展覧会が開催された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橋本夢道」の解説

橋本夢道 はしもと-むどう

1903-1974 昭和時代の俳人。
明治36年4月11日生まれ。「層雲」の荻原井泉水(おぎわら-せいせんすい)に師事。昭和5年栗林一石路(いっせきろ)らとプロレタリア俳句運動をおこし,「旗」を創刊。16年新興俳句事件で投獄される。戦後は新俳句人連盟の結成にくわわった。昭和49年10月9日死去。71歳。徳島県出身。本名は淳一。句集に「無礼なる妻」「無類の妻」など。
格言など】みつまめをギリシヤの神は知らざりき(銀座月ケ瀬広告コピー)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「橋本夢道」の解説

橋本 夢道 (はしもと むどう)

生年月日:1903年4月11日
昭和時代の俳人。現代俳句協会顧問
1974年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の橋本夢道の言及

【層雲】より

…当初は河東碧梧桐らの新傾向俳句に呼応,また,ドイツ文学を中心にした翻訳紹介に力を注いだが,1912年ごろから〈真実を求むる心〉(井泉水)のリズムをそのままに書きとめる自由律俳句を提唱,尾崎放哉種田山頭火,野村朱鱗洞(1893‐1918)らが輩出した。昭和初期にはプロレタリア文学の影響下に,栗林一石路(1884‐1961),橋本夢道(1903‐74)らも出た。【坪内 稔典】。…

※「橋本夢道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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