橋津御蔵跡(読み)はしづおくらあと

日本歴史地名大系 「橋津御蔵跡」の解説

橋津御蔵跡
はしづおくらあと

[現在地名]羽合町橋津

橋津集落の南方、橋津川に近接する。現在も二棟の倉庫が残る。鳥取藩の藩倉で、地元では橋津藩はしづはん倉とよばれる。正保二年(一六四五)に設けられ、御蔵下村は河村かわむら郡里構四六村、同郡山中構三七村、久米くめ郡三二村の計一一五村、平年の納米額は四万三千俵ほどで(藩史)大坂廻米を保管する灘蔵のうち最大であった。宝暦三年(一七五三)頃の河村郡村々明細帳(近藤家文書)の橋津村の項には、棟数一二、納米四万七千俵とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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