日本歴史地名大系 「橘樹郡」の解説 橘樹郡たちばなぐん 神奈川県:武蔵国橘樹郡武蔵国の南部に位置し、東は海で、北は荏原(えばら)郡・多摩(たま)郡、西は都筑(つづき)郡、南は久良(くらき)郡に接する。現在の川崎市と横浜市の一部にわたる。「和名抄」東急本は「太知波奈」と訓を付す。高田(たかた)・橘樹・御宅(みやけ)・県守(あかたもり)・駅家(うまや)の五郷があり、郡衙はおそらく橘樹郷にあったであろう。郡名の由来として、日本武尊の東征に従った弟橘媛の墓が当郡にあるとされるところから「風土記稿」以来、媛の名によるとの説が広く称えられる。「日本書紀」によれば、武蔵国造の職を笠原直使主と同族小杵が争い、大和朝廷の助けによって勝った使主は、安閑天皇元年閏一二月朝廷に「横渟・橘花・多氷・倉樔」の四屯倉を献上した。この「橘花」の屯倉が中心となって郡となったとみられる。なおこの笠原氏は「和名抄」にみえる玉(さいたま)郡笠原(かさはら)郷に関係ある氏族であろうか。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by