橘澄清(読み)たちばなの すみきよ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橘澄清」の解説

橘澄清 たちばなの-すみきよ

861-925 平安時代前期-中期公卿(くぎょう)。
貞観(じょうがん)3年生まれ。橘良基(よしもと)の5男。伊予守(いよのかみ),大宰大弐などをへて延喜(えんぎ)13年参議となり勘解由使(かげゆし)長官を兼任,21年中納言にすすむ。従三位。「延喜式」の編集に参加。甥(おい)の藤原道明とともに道澄寺を建立した。延長3年5月6日/9月3日死去。65歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む