日本歴史地名大系 「道澄寺」の解説 道澄寺どうちようじ 京都市:伏見区伏見町第一区直違橋〈南一丁目・北一丁目・二丁目―十一丁目〉道澄寺[現在地名]伏見区深草直違橋六丁目浄土宗西山深草派に属する。本尊は等身大の木造地蔵菩薩(室町時代頃か)。養老三年(七一九)藤原武智麻呂建立の真言宗栄山(えいさん)寺(現奈良県五條市)に伝わる鐘(国宝)は、もと道澄寺の鐘である。延喜一七年(九一七)の銘文が記されている。<資料は省略されています>右の鐘銘によれば、延喜一七年に従三位大納言兼右近衛大将・皇太子傅の藤原朝臣(道明)と、参議左大弁従四位上・勘解由長官・播磨守の橘朝臣(澄清)が、四恩に報い六趣を済まさんがために力を合せて寺を建て、両者の名の頭文字をとって「道澄寺」としたことがわかる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by