檮原村(読み)ゆすはらむら

日本歴史地名大系 「檮原村」の解説

檮原村
ゆすはらむら

[現在地名]檮原町檮原東ゆすはらひがし仲間なかいだ竹の藪たけのやぶ

檮原川上流域に開けた村。交通の要所山子やまご西にしかわ村を経て伊予の吉田藩領に出る道があり、宇和島藩領へは宮野々みやのの村から九十九曲くじゆうくまがり峠を越える道と上成うわなろ村からまつとうを抜けて行く道があった。また、当別峠とべつとう(現東津野村)を越えて須崎に下りる道も通じていた。

永和元年(一三七五)八月三日付の津野浄高所領宛行状(蠧簡集拾遺)に「椅原村」とみえるのが早く、これによると方田治部左衛門尉頼定は「津野新庄山方地頭職椅原村内広野郷内半分事」を宛行われている。江戸時代の郷帳類はイスハラの訓を付し、享和三年(一八〇三)の仮名付帳はイスワラとよませている。また天正一六年(一五八八)の津野檮原村地検帳には「檮原渡瀬」「イスワラワタセ」のホノギがみえるので、古くはイスワラといったと考えられる。「土佐州郡志」には「地旧多椅木、延喜年中以為村名」とあり、津野氏の祖山内経高が伊予より移ったとき、椅の木が多いので、椅原と名付けたと伝える。なお経高は伊予の三島大明神を勧請して守護神とし、化粧けしよう坂の東北岡之おかの城に拠って当地を治めたといわれる。三島神社は伊予より檮原に通じる檮原街道沿いに多く分布し、その総社が檮原村にある。

津野檮原村地検帳によると当時の檮原村には上中洞かみなかとう・下中洞・山子・栗木くりのき川口かわぐち川井かわい・中間・上西川かみにしのかわ・下西川・新開しんかい弘野ひろの房六ぼうろく・宮之野・上成・上成川うわなろかわクリヤ・松谷まつだに竹之藪たけのやぶ和田わだ・安包などの「名」や、飯穂いいぼ村・後別当ごべつとう村・神在居かんざいこ大良川たろうがわ川古味かわこみ・マサイ・白谷などの地名があり、北は上成村、西は伊予国境の西ノ川村、南は川井村までを村域としていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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