櫟原庄(読み)いちはらのしよう

日本歴史地名大系 「櫟原庄」の解説

櫟原庄
いちはらのしよう

富田川中流域の沖積平野部、朝来あつそいち下鮎川しもあいかわ一帯に広がる荘園。「中右記」天仁二年(一一〇九)一〇月二二日条に「氏院庄櫟原石田」とあり、応保元年(一一六一)頃と思われる某書状(京都大学蔵「兵範記」仁安二年春巻裏文書)に「抑紀伊国櫟原・有馬此両所勧学院御領候」と記され、藤原氏の氏院勧学院領であった。院政期熊野詣の通過地で、「中右記」天仁二年一〇月二六日条に「次欲引僧供遅到来、是櫟原庄年供之中借右中弁也」とあり、藤原宗忠は勧学院別当から荘園年貢物を借受け、僧供料に充当したようで、藤原氏一門の熊野詣には、こうした物資の現地供給が図られたとみられる。

嘉元三年(一三〇五)とされる摂渡庄目録(九条家文書)によれば、氏院領で田四一町三段六〇歩、「武家相伝之云々、但被付道円上人、而不叙用之間、辞退之、関東進止地云々」の添書があり、鎌倉時代は荘官所職に御家人が補任されていたことをうかがわせる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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