甲賀町(読み)こうかちよう

日本歴史地名大系 「甲賀町」の解説

甲賀町
こうかちよう

面積:七一・六四平方キロ

郡の中央やや東寄りに位置し、北は水口みなくち町、北から東にかけて土山つちやま町、西は甲南こうなん町、東から南にかけて三重県鈴鹿郡せき町、南は同県阿山あやま伊賀町・阿山町。東部は鈴鹿山脈南部の山々で那須なすはら(八〇〇メートル)高畑たかはた(七七三・三メートル)などがある。中央部は古琵琶湖層からなる丘陵と、それを開析するそま川・櫟野いちの川・大原おおはら川・佐治さじ川などがつくる谷部とに分れる。北東部の和田わた川や唐戸からと川は北流して野洲やす川に合流する。集落は川沿いに発達し、JR草津線がほぼ杣川に沿って走り、甲賀と油日あぶらひの二駅がある。草津線に沿って県道草津―柘植つげ線が通る。

甲賀町
こうかまち

[現在地名]会津若松市栄町さかえまち馬場町ばばまち上町うわまち馬場本町ばばもとまち相生町あいおいまち昭和町しようわまち

馬場町の東の南北通りで、南端は甲賀町口郭門、北端滝沢たきざわ町に接する。文禄二年(一五九三)蒲生氏郷が町割を命じ、甲賀町口郭門以北に近江国日野ひの(現滋賀県日野町)より召連れてきた家臣や諸職人を置いたので日野町と称した。寛永四年(一六二七)加藤嘉明が入部し、日は火に通じるので忌み、近江国の郡名をとって甲賀町と改称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報