欠村
かけむら
[現在地名]岡崎市欠町・
元欠町・
栄町・
根石町
岡崎城下東端、投町に東接し東海道沿いの村。乙川北岸の段丘上にあり、北は小呂村、東は大平村。欠は「掛」の字をあてることもある。江戸時代「欠の郷」と称されることが多く、「東海道名所記」「あづまの道の記」その他に「かけの郷」とある。「三河聡視録」に、「岡崎旧記」の写として「文和年中ヨリ大永年中マテ菅生領主、文和大永ノ間百七十年小嶋大蔵殿、大永二壬午年ヨリ根石掛領、大永ヨリ天正十七己丑年マテ之間百二十七年柴田衛守殿、天正十七年マテ之間右地頭天正十八庚寅年マテ是ヨリ田中兵部大輔吉政領ト成ナリ」とある。大永(一五二一―二八)より天正一七年(一五八九)まで一二七年というのは書き間違いであろう。
欠村
かけむら
[現在地名]幡豆町西幡豆
現在「かけ」と通称されている一帯は、西幡豆港近くの海付きの平坦な集落をさす。隣村中村がかつて欠村字中村郷といっていたので、村域はもう少し広い地域が想定できる。「三河志」には「かけ村 今欠村 三河堤に掛村とある。高百四十三石二斗九升 氏神天王」と記される。掛村と書かれることは多い。
安泰寺過去帳(安泰寺蔵)に「当山開基天岑紹音大禅定門 永正十一甲戌三月六日 小笠原摂津守欠村城主」とあり、永正(一五〇四―二一)の頃、欠村に城が構えられていたことを示す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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