朝日日本歴史人物事典 「歌沢虎右衛門」の解説
歌沢虎右衛門
生年:文化10(1813)
幕末・明治初期の歌沢2代目家元。本名は平田虎右衛門。通称は平虎。江戸橘町に住む畳職人で,端唄をよくした美声家。歌沢笹丸の知遇を得,歌沢連のかなめとなる。安政4(1857)年,歌沢相模と改名。文久2(1862)年,歌沢初代家元笹丸の顕彰碑を向島木母寺(のち三囲神社へ移転)に建て,笹丸の後継者という意味合いから「2世歌沢虎右衛門」と碑面に刻んだ。建碑の前後に一門の結束が崩れたようで,初代哥沢芝金や歌沢能六斎が離反する。晩年は病に倒れ,娘に後事を託して歌沢寅右衛門を継がせた。この3代目以降は女性が家元を継いだためか,「虎」の1字を改めて「寅右衛門」と名乗っていく。
(倉田喜弘)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報