日本歴史地名大系 「正家村」の解説 正家村しようげむら 岐阜県:恵那市正家村[現在地名]恵那市長島町正家(おさしまちようしようげ)恵那盆地南部の平地と、それに続く南方の山地とからなる。東を阿木(あぎ)川が北流し、洞(ほら)川が東流して阿木川に合流する。北は大井(おおい)村・中野(なかの)村、東は東野(ひがしの)村に接する。天文七年(一五三八)七月一二日の武並(たけなみ)大明神の鐘銘に「遠山荘大井郷正家村」とある。関ヶ原の戦後、木曾衆(山村氏・千村氏・三尾氏)の知行地となるが、元和元年(一六一五)木曾衆は尾張藩に付属され、以後幕末まで尾張藩領。天明年間(一七八一―八九)太田(おおた)(現美濃加茂市)に尾張藩代官所が設置されると、行政面ではここの支配を受けたが、年貢類はそれぞれの給人役所へ納入した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報