日本歴史地名大系 「恵那市」の解説 恵那市えなし 面積:一七二・四九平方キロ県南東の東濃山間部にあり、南北に長い恵那地域の中央に位置する。市域は北の美濃飛騨山地と、南の美濃三河高原と、その間に挟まれた恵那盆地からなる。美濃飛騨山地は市域の最高峰である笠置(かさぎ)山周辺の山々と、赤河(あこう)断層を挟んでその西方の飯地潮見(いいじしおみ)高原とからなる。美濃三河高原は恵那山の北側にある前(まえ)山から西南西方向に保古(ほこ)山、花無(はななし)山、鍋(なべ)山、夕立(ゆうだち)山から屏風(びようぶ)山を経て、瀬戸・三河方面に延びている。美濃三河高原の北側は断層になり、屏風山断層崖とよばれる。屏風山断層崖と美濃飛騨山地との間は恵那盆地で、盆地北寄りを木曾川が峡谷をつくって西流する。その南側を土岐川が南西流している。この二本の河川に南北から小河川が流入し、山地を開析しながら扇状地を形成している。東に位置する中津川市とともに旧恵那郡を南北に二分しており、西は瑞浪(みずなみ)市、西から北西は加茂郡に接する。天平勝宝二年(七五〇)四月二二日の美濃国司解(東南院文書)に恵奈郡とみえる。昭和二九年(一九五四)二町六村が合併して新市が成立する際、旧郡名をとって恵那市と名付けた。〔原始〕先土器時代の石器が中野方(なかのほう)町と笠置町姫栗(ひめぐり)で発見されており、いずれも木曾川北岸である。縄文時代に入ると、遺物は早期のものからしだいに出土量が増し、中期には非常に多くなり、遺跡の分布は山麓傾斜地から河岸段丘上にまで広がる。飯地町の鹿路山(ろくろやま)遺跡では竪穴住居跡一基が検出され、直径六メートルの円形プランで中央やや西寄りに炉跡がある。弥生時代の遺物は発見例が少ないが、中野方町の庄兵衛田(しようべえだ)遺跡から出土した貝田町式の土器片には籾痕がついていたという。古墳は市内で一三六基確認され、それはほとんど木曾川南岸にある。なかでも長島(おさしま)地区には能万寺(のうまんじ)古墳群二一基をはじめ、千田(せんだ)古墳群三六基、久須見(くすみ)古墳群五基と集中している。これらはすべて横穴式石室をもつ後期古墳である。しかし三郷(みさと)町野井の森山(のいのもりやま)古墳群は直葬形式の前期古墳とみられている。また長島町正家の円通(しようげのえんつう)寺裏山には中世の墳墓とみられる一一基の積石塚がある。〔古代〕「和名抄」によれば恵奈郡は六郷からなる。その一つに竹折(たけおり)郷があり、武並(たけなみ)町竹折を遺称地とし、現在の東野(ひがしの)・大井(おおい)・長島・三郷・武並地区にあたるといわれる(濃飛両国通史)。また大井は郡家の所在地であったとする説もある。東山道の駅として「延喜式」兵部省に大井駅があげられ、駅馬一〇匹・伝馬一〇匹が置かれた。 恵那市えなし 2004年10月25日:恵那市と恵那郡岩村町・山岡町・明智町・串原村・上矢作町が合併⇒【岩村町】岐阜県:恵那郡⇒【山岡町】岐阜県:恵那郡⇒【明智町】岐阜県:恵那郡⇒【串原村】岐阜県:恵那郡⇒【上矢作町】岐阜県:恵那郡⇒【恵那市】岐阜県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「恵那市」の意味・わかりやすい解説 恵那〔市〕えな 岐阜県南東部,木曾川中流域と美濃三河高原に広がる市。東で長野県,南で愛知県に接する。 1954年大井町,長島町の2町と東野村,三郷村,武並村,笠置村,飯地村,中野方村の6村が合体して市制。 2004年岩村町,山岡町,明智町,串原村,上矢作町の5町村と合体。古くは東山道の宿駅が設置され,江戸時代には中山道の宿場町として繁栄。主産業は農業で,山麓緩斜面や丘陵地で棚田による米作や酪農が行なわれる。第2次世界大戦後,精密機械,弦楽器製造,段ボールなどの厚紙製造および加工,石材加工などの工業が進出。天然細寒天や良質の耐火粘土の産地としても有名。日本最初のダム式発電所である大井ダムの建設により誕生した恵那峡は,多くの観光客を集める。笠置山付近のヒトツバタゴ自生地と岩村町の富田ハナノキ自生地,大井町の傘 (からかさ) 岩は国の天然記念物。市域の一部は恵那峡県立自然公園および胞山県立自然公園に属する。 JR中央本線と明知鉄道が恵那駅で分岐。国道 19号線,257号線,363号線,418号線が通り,中央自動車道のインターチェンジがある。面積 504.24km2(境界未定)。人口 4万7774(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by