正岡芸陽(読み)マサオカ ゲイヨウ

20世紀日本人名事典 「正岡芸陽」の解説

正岡 芸陽
マサオカ ゲイヨウ

明治・大正期の評論家,ジャーナリスト



生年
明治14(1881)年9月5日

没年
大正9(1920)年3月24日

出生地
広島県

本名
正岡 猶一

学歴〔年〕
青山学院

経歴
明治27年頃キリスト教の布教に従事していたが、32年「新声」の同人となり執筆活動を続け、34年「新聞社の裏面」「婦人側面」「時代思想の権化」「嗚呼売淫国」とやつぎばやに刊行。35年には「人道之戦士 田中正造」などを刊行し、36年「新声」主筆となる。38年「やまと新聞」からポーツマス会議の特派員として渡米。40年「大阪日報」の主筆となった。人道主義の立場から社会を批判する著作で注目された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「正岡芸陽」の解説

正岡芸陽 まさおか-げいよう

1881-1920 明治-大正時代の評論家。
明治14年9月5日生まれ。青山学院にまなぶ。明治32年「新声」の同人となり,人道主義的立場から「嗚呼(ああ)売淫(ばいいん)国」「人道之戦士 田中正造」などを刊行。36年「新声」主筆,40年「大阪日報」主筆となる。大正9年3月24日死去。40歳。広島県出身。本名は猶一。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「正岡芸陽」の解説

正岡 芸陽 (まさおか げいよう)

生年月日:1881年9月5日
明治時代;大正時代の評論家;ジャーナリスト
1920年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む