日本歴史地名大系 「正院川尻城跡」の解説 正院川尻城跡しよういんかわしりじようあと 石川県:珠洲市川尻村正院川尻城跡[現在地名]珠洲市正院町川尻稲荷(いなり)山の要害(能登名跡志)、要害(三州志)と称し、正院城ともいう。「三州志」に城主を長氏庶流の長川尻氏とするが、長享元年(一四八七)の近江在陣衆のなかに「長川尻」がみえることから(常徳院殿様江州御動座当時在陣衆着到)、興味深い記述である。川尻の領主であった長川尻氏によって築城されたと推定できる。天正四年(一五七六)の越後上杉氏の能登進攻に伴い、当城は珠洲郡の政治・軍事の拠点となり、謙信の近臣長景連が置かれた。しかし同七年八月頃に至り、畠山旧臣温井景隆と上杉方の能登目代鰺坂長実が結び、当城の景連を攻撃、景連は越後へ敗走した(「長家譜」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報