日本歴史地名大系 「正音寺村」の解説 正音寺村しようおんじむら 大阪府:摂津市正音寺村[現在地名]摂津市東正雀(ひがししようじやく)・正雀(しようじやく)一丁目・三島(みしま)三丁目・阪急正雀(はんきゆうしようじやく)・正雀本(しようじやくほん)町一丁目・庄屋(しようや)一―二丁目味舌(ました)郷五ヵ村の一。山田(やまだ)川が中央を流れ、上手は庄屋村。集落はおもに山田川の左岸にある。村の東端を茨木(いばらき)村(現茨木市)方面への道が、西端を山田村(現吹田市)への道が通る。文禄三年(一五九四)の大田郡内味舌村ノ庄屋村御検地帳(庄屋区有文書)および大田郡味舌之内下村御検地帳(久富家文書)に「正音寺」の地名がみえ、慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図は「小音寺村」と表記。村名はもと当地にあった寺院の名にちなむというが詳細は不明。味舌郷のなかで当村のみ領主を異にする(→味舌村)。元和初年の摂津一国高御改帳に高槻藩内藤信正領の「味舌村・正音寺村」三六七石余がみえ、寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳では「味舌村」のうち京都所司代板倉重宗領三三八石余にあたる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by